【わかりやすい神様のお話】~古事記はいつ、誰が、なんのために書いたのか~
日本神話や日本の神々の系譜、そして天皇家の歴史が書き記してある、国内最古の書物と言われるのが、古事記という古文書です。
私の記事やインスタグラムの投稿も、主に古事記を中心に書いていますが、今回は古事記は「いつ、誰が、なんの目的で書いたのか」楽しく、わかりやすくお話していきたいと思います。
ぜひ、最後まで見てください。
古事記って何が書いてあるの?
古事記って日本神話が書かれている、日本最古の書物ですよね?
その認識で間違いないんじゃが、正確には古事記は上巻、中巻、下巻の3つに分かれていて、日本神話が書かれているのは上巻だけでなのじゃ
超ザックリとした古事記の内容
古事記の始まりは天地開闢(てんちかいびゃく)と言って、世界は全てが混ざり合った混沌とした状態から天地が分かれ世界が生まれたという、創造神話から始まります。
その後にイザナギとイザナミが登場し、アマテラスやスサノオの活躍があり、なんやかんやあってオオクニヌシが日本初の支配者となりました。
しかし、アマテラスの孫のニニギがオオクニヌシに代わる支配者として、天から降りてきて、その子孫が初代天皇である神武天皇になりました、という神話が古事記の上巻~中巻に書かれています。
中巻は初代天皇から15代天皇までのことが、そして下巻には16代天皇から33代天皇までのことが書かれているのじゃ
古事記って本当は歴史書なんですね
古事記っどうやってできたの?
古事記の始まり
古事記はもともと、天武天皇(てんむてんのう)という人物の発案で編纂がはじまりました。
それまで、日本に伝わっていた神話、歴史、天皇家の系譜をまとめた書物もあったのですが、争いによって燃えてしまいました。
そこで、天武天皇が新たな歴史書を作り、後世に歴史を伝えようと考えたのです。
古事記の書き方
天武天皇はまず、一度見聞きしたことは忘れないほど頭がいい、稗田阿礼(ひえだのあれい)という人物を連れてきました。
天武天皇は稗田阿礼に神話、歴史、天皇家の系譜を覚えさせたのです。
ところが、古事記編纂の中心人物だった天武天皇が亡くなってしまい、古事記の作成がストップしてしまいます。
ストップしている間に若かった稗田阿礼は、だんだんとおじいちゃんになってきました。
長い間ストップしていた古事記の編纂ですが、元明天皇(げんめいてんのう)という人物が編纂を再開させます。
元明天皇は数少ない女性の天皇ですね。
こうして、古事記の編纂は再び始まりました。
その方法は稗田阿礼が覚えていることを語り、それを大安万呂(おおやすまろ)が書き写すというものでした。
編纂が再開されて3か月後、全3巻からなる古事記は完成しました(712年)。
書いている期間よりも、編纂が止まっていた時間の方が長いですね
古事記と日本書紀の違いは?
日本書紀も古事記と同じく、歴史と神話が書き記された歴史書なんですよね? どう違うんですか?
古事記、日本書紀はどちらも、同じ時期に天皇家によって作られた歴史書じゃ。だから、同じようなことが書かれているが、目的や書いた人が違うから、微妙に内容が異なるんじゃ
日本書紀は誰が書いたの?
古事記、日本書紀はどちらも神話、歴史、天皇家の系譜を書き残すという目的で、天武天皇の発案で編纂がはじまりました。
古事記は天武天皇の死後、長く編纂が止まっていましたが、日本書紀は天武天皇の息子である舎人親王(とねりしんのう)が引き継ぎ編纂が進められました。
日本書紀は39年という、とても長い時間をかけてつくられました。そのため古事記が全3巻なのに対し、日本書紀は全30巻という超大作です。
一目でわかる古事記と日本書紀の違い
日本書紀にしか出てこない神様もいる?
古事記と日本書紀は似たようなことが書いてあるのじゃが、日本書紀にしか出てこない神様もいるんじゃ
そうなんですね! どんな神様がいるんですか?
古事記、日本書紀には様々な神様が登場しますが、片方にしか登場しない神様もいます。
菊理姫神
菊理姫神(くくりひめのかみ)は日本書紀にしか登場しない神様です。
イザナミが死んだ後、寂しくなったイザナギが黄泉の国へ、イザナミを迎えに行くお話は有名かと思います。
ところが、黄泉の世界にいたイザナミはゾンビのような姿をしていました。
驚いたイザナギは逃げていき、古事記ではイザナミを振り切り現世まで逃げ帰ります。
ところが、日本書紀ではイザナギはイザナミに捕まって口論になってしまいました。
イザナギとイザナミがケンカしているところを通りかかったのが菊理姫神です。
菊理姫神が仲裁に入りイザナミを説得したところ、イザナミは納得して黄泉の国へ帰っていったという神話があります。
ケンカしたイザナギとイザナミの仲裁したから、菊理姫神は夫婦和合、縁結び、交渉成功のご利益があると言われているんじゃ
経津主神
下総国一之宮として知られる香取神宮の主祭神である経津主神(フツヌシノカミ)も、日本書紀にしか登場しない神様です。
地上は元々大国主神(オオクニヌシノカミ)という神様が支配していました。
オオクニヌシ
ところが、高天原(たかまがはら)という神々が住む天の世界から地上を見ていてた、天照大御神は、オオクニヌシより自分の息子の方が支配者に相応しいと考えます。
そこで、何人か使者を派遣するのですが、オオクニヌシによって言いくるめられ、ことごとく失敗しました。
そこで、何事にも屈しない武神である経津主神が選ばれ、同じく武神である建御雷神(タケミカヅチノカミ)と共に武力をもってしてオオクニヌシのところに攻め込みました。
経津主神と建御雷神の活躍により、オオクニヌシはアマテラスに国を明け明け渡したのです。
建御名方神
建御名方神(タケミナカタノカミ)は、古事記にしか登場しない神様です。
オオクニヌシから国を奪取しようと考えたアマテラスは、何人か使者を送りますが、オオクニヌシによって言いくるめられ失敗するというのは、日本書紀と同じ展開です。
古事記では経津主神は登場せず、建御雷神(タケミカヅチノカミ)だけでオオクニヌシのところに攻め込みました。
オオクニヌシ側は「アマテラス様に従いましょう」とあきらめムードになります。
しかし、「俺たちの国を奪うなら、この俺を倒してからにしろ!」と抵抗する神様がいました。
その抵抗した神様というのが、オオクニヌシの息子の一柱であるり、最も力がある建御名方神(タケミナカタノカミ)だったのです。
力に自信があるタケミナカタは、タケミカヅチに掴みかかりました。ところが、タケミナカタはあっさり投げ飛ばされてしまいます。
驚いたタケミナカタは逃げていくのですが、長野県の諏訪湖周辺で追い詰められてしまいました。
画像のように命乞いをしたタケミナカタは、これ以降、諏訪地方から出てこなくなり、こうしてできたのが諏訪大社と言われています。
諏訪大社に関しては、ぜひこちらの記事を読んでください
以上が古事記はいつ、誰が、なんのために書いたのかというお話でした。
今では、現代語に直されたものや、漫画版もあるのでぜひ古事記を読んでみてください。