【楽しい神社のお話】~諏訪大社ってどんな神社?~
インスタグラムにてフォロワーさんから「諏訪神社ってどんな神社なんですか?」というご質問をいただきました。
なので、今回は諏訪大社についてお話していきたいと思います。
ぜひ、インスタグラムにも遊びに来てください。
諏訪神社には神様どんな神様が祭られているの?
諏訪大社画像
諏訪神社の御祭神は、大国主神の息子である建御名方神と、その妻である八坂姫神です。
諏訪神社のご利益
諏訪神社の総本宮である諏訪大社は、諏訪湖の周辺にあるから、水と関わりが深い神様なのじゃ
また、漁業だけでなく、諏訪大社は狩猟生活をしていた縄文人が元になっているので、狩猟のご利益もあります
諏訪大社創建の歴史
全国の諏訪神社は、長野県にある諏訪湖の周辺にある諏訪大社が総本宮となっています。
諏訪大社の歴史はとても古く、創立の歴史は神話の時代からつづいています。
また、この地方は縄文時代に行われていた祭事の跡が発見されており、神社の中でも最古の分類にはいる神社だと言われています。
古事記から見た諏訪大社の歴史
建御名方神と建御雷神の対決
古事記では、日本の最初支配者はオオクニヌシでした。ところが、天から地上の様子をみていたアマテラスは「自分の息子の方が、支配者にふさわしい」と考えます。
そこで、アマテラスは使者を送りました。
しかし、オオクニヌシは争うのではなく、美女と宴会でもてなすことで、使者を懐柔して、ことをウヤムヤにしていったのです。
アマテラスは最終的に剣と雷を司る軍神である建御雷神(たけみかづちのかみ)を、オオクニヌシがいる出雲(島根県)に送りました。
タケミカヅチ「アマテラス様に国を明け渡しなさい!」
タケミカヅチは武力でオオクニヌシに迫りました。オオクニヌシ側の神々は「大人しく従ったほうがいいですよ」と、あきらめムードになります。
ところが、オオクニヌシの子供たちの中でも、最も力が強いマッチョの神様であるタケミナカタだけは、タケミカズチに抵抗したのです。
タケミナカタはタケミカヅチの腕を掴み、力比べで勝負しようとしました。
タケミカヅチとタケミナカタの力比べが、相撲の起源とも言われているんじゃ
タケミナカタの敗走
掴んだタケミカヅチの腕が剣に変わり、それにタケミナカタは驚いてしまいました。その隙に、タケミカヅチはタケミナカタを投げ飛ばしてしまいます。
勝負に負けたタケミナカタは出雲(島根)から逃げ出し、長野県に逃げていきました。
ところが、諏訪湖あたりでタケミナカタはタケミカヅチに追い詰められました。
追い詰められたタケミナカタは、画像のように命乞いをしました。それを聞き入れたタケミカヅチは、命まで奪うことはありませんでした。
タケミナカタの敗走によって、諏訪湖周辺にタケミナカタを祭る諏訪大社ができたのです。
古事記と地方神話の違い
タケミナカタが出雲から逃げてきて、諏訪大社ができたというのは古事記に書いてある神話で、諏訪地方に伝わる神話は違うものになってるのじゃ
そうなんですね。ぜひ、諏訪地方の神話も聞いてみたいです。
もともと諏訪地方には、モレヤ神という神様がいました。ところが、諏訪地方にタケミナカタが攻め込んできたのです。
モレヤ神は抵抗してタケミナカタと戦いましたが、負けてしまいます。
こうして、諏訪地方はタケミナカタが支配することになり、諏訪大社ができるのです。
モレヤ神は命まで奪われることはなくタケミナカタに服従して神官になり、代々諏訪大社の神官長を務めてきた守矢一族の祖先となりました。
モレヤ神を祭る洩矢神社も、諏訪湖周辺にあるのじゃ
ところで、なぜ地方神話と古事記の神話に違いがあるのでしょうか?
古事記というのは、西暦700年ごろの皇室によって作られた書物じゃ。当時の天皇にとって都合の悪い神話は改ざんされている可能性があるのじゃ
本殿がない諏訪大社
諏訪大社は一つの神社ではなく、本宮、前宮、秋宮、春宮の4つにわかれているのじゃ
そうなんですね! 白狐先生、なぜ分かれているのか教えてください
白狐先生の言う通り諏訪大社は4つの神社の総称なのです。
諏訪湖の南側にある前宮、本宮でタケミナカタを祭っており、この二社を総称して上社といいます。
そして、諏訪湖を挟んで北側にある秋宮、春宮にはタケミナカタの妻である、八坂姫神が祭られており、この二社を総称して下社といいます。
ちょっとややこしいので、下の図で説明しますね
ちなみに、伊勢神宮も外宮と内宮にわかれていて、外宮から参拝するのが正式な参拝方法ですが、諏訪大社はどの神社から参拝してもいいです。
それでは、それぞれの神社を見ていきましょう。
タケミナカタを祭る上社
前宮ってこんな神社
諏訪大社前宮は諏訪地方にやってきたタケミナカタの家があったと言われる場所で、諏訪信仰が発祥した場所と言われています。
本宮ってこんな神社
前宮から約2キロほど離れたところにあるのが、諏訪大社本宮です。
実は上社には拝殿こそあるものの、御神体を保管する本殿がありません。
なぜなら、上社の御神体は守屋山という山そのものだからです。このように自然物を御神体として祭る信仰を神奈備信仰(かんなびしんこう)と言って、神社の中でもかなり古い信仰形式になります。
神奈備信仰に関してはこちらの記事を読んでください
このように、神社の中でも古い信仰形式を残しているので、諏訪大社は最古の神社の候補の一つでもあります。
最古の神社と言われているのは、奈良県の大神神社や三重県の花の窟屋神社などがあるが、古代日本は文字を使っていなかったから記録が残っておらんのじゃ。だから、どこが最古か断言することはできんのじゃ
八坂姫を祭る下社
春宮ってこんな神社
下社も上社と同じく拝殿こそあるものの、御神体と保管する本殿がありません。というのも、下社の御神体は木だからです。
拝殿の奥に杉の木があり、春宮はこの杉の木を御神体としています。
また春宮には、万治の石仏という仏様が鎮座しています。
万治の石仏は江戸時代ごろに、春宮の鳥居を造ろうとして近くにあった石にノミを打ち込みました。
すると石から血が流れ始めたため、驚いた職人は鳥居の作成を中止しました。
代わりに血が流れた不思議な石を、阿弥陀如来像にすることにして造られたのが、万治の石仏をいわれています。
ユニークな見た目をしているので、多くの人に親しまれ日本のモアイなんて言われたりもしています。
春宮を訪れた時には、万治の石仏も見てみたいですね!
秋宮ってこんな神社
春宮の御神体が杉の木なのに対して、秋宮の御神体はイチイの木です。
やはりこちらの神社も本殿がなく、御神体は拝殿奥に祭られています。
謎多き神様 ミシャクジ様
諏訪信仰で忘れちゃいけないのが、ミシャクジ様という神様の存在じゃ
ミシャクジ様ですか? 聞いたことがないですね
古事記や日本書紀に書いてある神様ではなく、民間で信仰されていた神様じゃ。木や石に宿る精霊とも言われているのぉ
ミシャクジ様は諏訪地方から始まった信仰です。中部地方や近畿地方にも伝わったそうですが、諏訪地方には現代でもミシャクジ様信仰は残っています。
前宮と本宮の間には神官長守矢資料館という博物館があるのですが、そこにはミシャクジ様を祭る社があります。
それでは、ミシャクジ様がどんな神様なのかお話していきます。
縄文時代から存在した神様
ミシャクジ様はわからないことが多い神様です。その正体について様々な説がありますが、ハッキリしたことはわかりません。
諏訪湖周辺は縄文時代の遺跡が多く発見されていて、祭祀に使われていたとされる道具も多数発見されています。
なので、ミシャクジ様は縄文人が信仰していた、かなり古い神様なのかもしれません。
ミシャクジ様の正体は?
石の神様とも言われているし、蛇の神様、狩猟の神様だったとも言われています。
正体はわかりませんが、自然に宿る精霊のような存在ではないでしょうか。
また、諏訪大社の上社には、かつて大祝(おおほうり)と言われる最高位の神官がいたとされています。
この大祝と言われていた人はタケミナカタが宿るとされていて、生きた御神体として崇拝されていたそうです。
そして、モレヤ神の子孫である守矢一族は、ミシャクジ様を大祝に降ろす秘術を使うことができる人物とされていました。
諏訪大社はただの神社ではなく、大昔から続く古代の信仰のあとを現代まで残している神秘的な神社なのがわかってくれたかと思います。
以上が謎多き不思議な神社、諏訪大社のお話でした。