【わかりやすい神様のお話】~古事記はいつ、誰が、なんのために書いたのか~
日本神話や日本の神々の系譜、そして天皇家の歴史が書き記してある、国内最古の書物と言われるのが、古事記という古文書です。
私の記事やインスタグラムの投稿も、主に古事記を中心に書いていますが、今回は古事記は「いつ、誰が、なんの目的で書いたのか」楽しく、わかりやすくお話していきたいと思います。
ぜひ、最後まで見てください。
古事記って何が書いてあるの?
古事記って日本神話が書かれている、日本最古の書物ですよね?
その認識で間違いないんじゃが、正確には古事記は上巻、中巻、下巻の3つに分かれていて、日本神話が書かれているのは上巻だけでなのじゃ
超ザックリとした古事記の内容
古事記の始まりは天地開闢(てんちかいびゃく)と言って、世界は全てが混ざり合った混沌とした状態から天地が分かれ世界が生まれたという、創造神話から始まります。
その後にイザナギとイザナミが登場し、アマテラスやスサノオの活躍があり、なんやかんやあってオオクニヌシが日本初の支配者となりました。
しかし、アマテラスの孫のニニギがオオクニヌシに代わる支配者として、天から降りてきて、その子孫が初代天皇である神武天皇になりました、という神話が古事記の上巻~中巻に書かれています。
中巻は初代天皇から15代天皇までのことが、そして下巻には16代天皇から33代天皇までのことが書かれているのじゃ
古事記って本当は歴史書なんですね
古事記っどうやってできたの?
古事記の始まり
古事記はもともと、天武天皇(てんむてんのう)という人物の発案で編纂がはじまりました。
それまで、日本に伝わっていた神話、歴史、天皇家の系譜をまとめた書物もあったのですが、争いによって燃えてしまいました。
そこで、天武天皇が新たな歴史書を作り、後世に歴史を伝えようと考えたのです。
古事記の書き方
天武天皇はまず、一度見聞きしたことは忘れないほど頭がいい、稗田阿礼(ひえだのあれい)という人物を連れてきました。
天武天皇は稗田阿礼に神話、歴史、天皇家の系譜を覚えさせたのです。
ところが、古事記編纂の中心人物だった天武天皇が亡くなってしまい、古事記の作成がストップしてしまいます。
ストップしている間に若かった稗田阿礼は、だんだんとおじいちゃんになってきました。
長い間ストップしていた古事記の編纂ですが、元明天皇(げんめいてんのう)という人物が編纂を再開させます。
元明天皇は数少ない女性の天皇ですね。
こうして、古事記の編纂は再び始まりました。
その方法は稗田阿礼が覚えていることを語り、それを大安万呂(おおやすまろ)が書き写すというものでした。
編纂が再開されて3か月後、全3巻からなる古事記は完成しました(712年)。
書いている期間よりも、編纂が止まっていた時間の方が長いですね
古事記と日本書紀の違いは?
日本書紀も古事記と同じく、歴史と神話が書き記された歴史書なんですよね? どう違うんですか?
古事記、日本書紀はどちらも、同じ時期に天皇家によって作られた歴史書じゃ。だから、同じようなことが書かれているが、目的や書いた人が違うから、微妙に内容が異なるんじゃ
日本書紀は誰が書いたの?
古事記、日本書紀はどちらも神話、歴史、天皇家の系譜を書き残すという目的で、天武天皇の発案で編纂がはじまりました。
古事記は天武天皇の死後、長く編纂が止まっていましたが、日本書紀は天武天皇の息子である舎人親王(とねりしんのう)が引き継ぎ編纂が進められました。
日本書紀は39年という、とても長い時間をかけてつくられました。そのため古事記が全3巻なのに対し、日本書紀は全30巻という超大作です。
一目でわかる古事記と日本書紀の違い
日本書紀にしか出てこない神様もいる?
古事記と日本書紀は似たようなことが書いてあるのじゃが、日本書紀にしか出てこない神様もいるんじゃ
そうなんですね! どんな神様がいるんですか?
古事記、日本書紀には様々な神様が登場しますが、片方にしか登場しない神様もいます。
菊理姫神
菊理姫神(くくりひめのかみ)は日本書紀にしか登場しない神様です。
イザナミが死んだ後、寂しくなったイザナギが黄泉の国へ、イザナミを迎えに行くお話は有名かと思います。
ところが、黄泉の世界にいたイザナミはゾンビのような姿をしていました。
驚いたイザナギは逃げていき、古事記ではイザナミを振り切り現世まで逃げ帰ります。
ところが、日本書紀ではイザナギはイザナミに捕まって口論になってしまいました。
イザナギとイザナミがケンカしているところを通りかかったのが菊理姫神です。
菊理姫神が仲裁に入りイザナミを説得したところ、イザナミは納得して黄泉の国へ帰っていったという神話があります。
ケンカしたイザナギとイザナミの仲裁したから、菊理姫神は夫婦和合、縁結び、交渉成功のご利益があると言われているんじゃ
経津主神
下総国一之宮として知られる香取神宮の主祭神である経津主神(フツヌシノカミ)も、日本書紀にしか登場しない神様です。
地上は元々大国主神(オオクニヌシノカミ)という神様が支配していました。
オオクニヌシ
ところが、高天原(たかまがはら)という神々が住む天の世界から地上を見ていてた、天照大御神は、オオクニヌシより自分の息子の方が支配者に相応しいと考えます。
そこで、何人か使者を派遣するのですが、オオクニヌシによって言いくるめられ、ことごとく失敗しました。
そこで、何事にも屈しない武神である経津主神が選ばれ、同じく武神である建御雷神(タケミカヅチノカミ)と共に武力をもってしてオオクニヌシのところに攻め込みました。
経津主神と建御雷神の活躍により、オオクニヌシはアマテラスに国を明け明け渡したのです。
建御名方神
建御名方神(タケミナカタノカミ)は、古事記にしか登場しない神様です。
オオクニヌシから国を奪取しようと考えたアマテラスは、何人か使者を送りますが、オオクニヌシによって言いくるめられ失敗するというのは、日本書紀と同じ展開です。
古事記では経津主神は登場せず、建御雷神(タケミカヅチノカミ)だけでオオクニヌシのところに攻め込みました。
オオクニヌシ側は「アマテラス様に従いましょう」とあきらめムードになります。
しかし、「俺たちの国を奪うなら、この俺を倒してからにしろ!」と抵抗する神様がいました。
その抵抗した神様というのが、オオクニヌシの息子の一柱であるり、最も力がある建御名方神(タケミナカタノカミ)だったのです。
力に自信があるタケミナカタは、タケミカヅチに掴みかかりました。ところが、タケミナカタはあっさり投げ飛ばされてしまいます。
驚いたタケミナカタは逃げていくのですが、長野県の諏訪湖周辺で追い詰められてしまいました。
画像のように命乞いをしたタケミナカタは、これ以降、諏訪地方から出てこなくなり、こうしてできたのが諏訪大社と言われています。
諏訪大社に関しては、ぜひこちらの記事を読んでください
以上が古事記はいつ、誰が、なんのために書いたのかというお話でした。
今では、現代語に直されたものや、漫画版もあるのでぜひ古事記を読んでみてください。
【楽しい神様のお話】スサノオってどんな神様なの?
須佐之男神(スサノオノカミ)という名前の神様を、知っている人も多いのではないでしょうか?
日本の最高神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟であり、ヤマタノオロチを倒したヒーローである一方、高天原(神々が住む天の世界)にいた時は暴れて問題を起こしたので、地上に追放されるというトラブルメーカーな一面もあります。
色々な顔がある神様なんですね
古事記の中でもキャラがころころ変わるから、複数の神様を融合させた神様とも言われているのじゃ
それでは、スサノオがどんな神様なのか、お話していきます。
スサノオのご利益
ヤマタノオロチを倒した猛々しさから、厄病神や病魔を退散してくれるなんて言われているのじゃ
スサノオの神話はラブストーリーも多く、とてもたくさんの子供がいるので、縁結びや子孫繁栄のご利益もあります。
このように、スサノオは多面性を持つマルチな神様なんですね。
スサノオの神話
トラブルメーカーな神様
スサノオは伊邪那岐神(イザナギノカミ)の末っ子として生まれました。
一番上の天照大御神は昼の世界を、
真ん中の月読神は昼の世界を、
そして、スサノオは海の世界をそれぞれ、イザナギから任されました。
アマテラスとツキヨミは素直にイザナギの言葉に従いましたが、スサノオは言うことを聞きませんでした。
イザナギに関しては、こちらの記事を読んでください
アマテラスとの対立
イザナギから海の世界を任されたスサノオでしたが、「お母さんに会いたい!」と言って、泣きわめいてばかりいました。
イザナギは母である伊邪那美神(いざなみのかみ)に会わせるわけにはいきませんでした。なぜなら、イザナミは死者の世界である黄泉の国にいたからです。
しかし、スサノオは父の言うことを聞かずに駄々をこねて暴れまわるので、海の世界は安定せず荒れ狂っていました。
イザナギ「お前は高天原(天の世界)の神失格だ! 地上に追放する」
イザナギによって地上への追放が決定してしまいました。
スサノオは地上に行く前に、姉であるアマテラスにあいさつしようとしました。しかし、アマテラスはスサノオが攻めてきたと勘違いして武装して迎え撃とうとしました。
アマテラス「スサノオ、なにか悪さしにきたんでしょ!」
スサノオ「姉さん。俺はただあいさつしにきただけだ!」
スサノオとしてはあいさつしに来ただけなのに、姉からこのような仕打ちを受けてショックでした。
そこで、スサノオは誓約(うけい)の儀式によって身の潔白を証明しようとしたのです。
誓約というのは占いの結果で勝負するようなものです。例えば、おみくじを引いて運勢がよかった方が勝ちみたいな感じです。
スサノオは自らの剣を神様に変えると、三柱の美しい女神が誕生しました。
一方でアマテラスは自分の勾玉を神様に変えると、五柱のイケメンの男神が生まれました。
スサノオ様とアマテラス様が生んだ合計八柱の神々を祭る神社を、八王子神社と言うのじゃ
さて、アマテラスとスサノオは、誓約の細かいルールを決めずに勝負を行ってしまいました。
子供の数で決めるのか? それとも、子供の性別で決めるのか?
スサノオ「俺の娘の方が、美人だし性格もいいから俺の勝ち」
アマテラス「いやいや、私の息子はイケメンだし数も多いから私の勝ち」
こんな感じで、事前にルールを決めなかったために、お互い勝利を主張し合って、誓約の勝敗は曖昧な形で終わってしまいました。
岩戸隠れの原因になる
ただ別れのあいさつをしにきただけなのに、アマテラスからは悪者扱いされ、誓約の勝敗も曖昧な結果となりました。
ムシャクシャしたスサノオは、高天原で暴れだします。
田んぼを壊したり、新嘗祭(にいなめさい)を行う神殿の中でう〇こをしたりしました。
新嘗祭ってなんですか?
人々が食べるのに困らないように行う五穀豊穣の儀式じゃ。
「スサノオ様が田んぼをめちゃくちゃにしました」
アマテラス「田んぼなら、また造ればいいじゃないですか」
「スサノオ様が新嘗祭の神殿でうん〇してました」
アマテラス「酔っぱらってトイレと間違えただけですよ」
こんな感じでアマテラスはスサノオのフォローをするのですが、機織場(服を作る工房みたいなもの)に、馬の死体を投げ込むという暴挙にでました。
最悪なことに、その場にいた女性の一人がショック死するという事件が起きます。
このような、乱暴なスサノオの振る舞いにどうしていいかわからなくなったアマテラスは、精神的に病んでしまい、天の岩戸という洞窟に引きこもって入口を岩で塞いでしまいます。
太陽を司るアマテラスがいなくなってしまったので、世界は闇に包まれてしまいました。
いわゆる岩戸隠れというできごとですね。ぜひこちらの記事を読んでください
ここから次の段落
スサノオVSヤマタノオロチ
櫛名田姫との出会い
神々が協力して、アマテラスを天の岩戸から誘い出すことに成功しました。
一方で神々は岩戸隠れの原因はスサノオにあるとして、ただ追放するだけでなく、多くの品物を献上させました。わかりやすく言うと罰金ですね。
それだけでなく、ひげをそり落とし、手足の爪をはがしてから、地上に追放したのです。
ひいい! 爪をはがされちゃったんですか⁉ それは痛そうですね。でも、なんでひげを剃ったり、爪をはがしたんですか?
爪やひげのような、生えてくるものは力の源とされていたんじゃ。それを奪うということは、その人の力を抑えるという意味がある。つまりスサノオは神としての力を制限された状態で地上に降ろされたわけじゃ
こうして、スサノオは重い処罰を受けて地上に行くことになりました。
スサノオは現在の島根県(出雲)に降りたちました。
すると、泣いているおじいさん、おばあさん、そして若い娘と出会います。
スサノオ「なぜ、泣いているんだ?」
おじいさんはこう答えました。
おじいさん「私たち夫婦には8人の娘がいましたが、毎年ヤマタノオロチという怪物が現れて、娘を一人ずつ食べらてしまいました。末っ子の櫛名田姫(クシナダヒメ)まで食べられてしまうかと思うと悲しくて……」
ヤマタノオロチというのは、8つの頭を持つ恐ろしい龍です。
スサノオが娘を見ると……
スサノオ「この子、めっちゃ可愛いじゃん!」
スサノオはクシナダ姫に惚れてしまいました。
スサノオ「ヤマタノオロチは俺が倒す! その代わり、クシナダ姫と結婚させてくれ!」
こうして、スサノオはクシナダ姫と結ばれるために、ヤマタノオロチと戦う決意を固めました。
ヤマタノオロチとの戦い
八塩折之酒
スサノオはまずクシナダ姫を不思議な力で櫛に変えて、自分の頭に刺しました。こうして、クシナダ姫を隠したのです。
そして、おじいさんとおばあさんには、八塩折之酒(やしおりのさけ)という、ものすごく強いお酒を酒樽8つ分つくらせました。
酒樽を家の周りに置いて、ヤマタノオロチを倒す準備が整いました。
日が暮れるとヤマタノオロチが現れました。スサノオの思惑通りヤマタノオロチは、八塩折之酒の存在に気付いて、ごくごくと飲みはじめました。
そして、酔いつぶれて眠ってしまったところにスサノオが現れます。
スサノオは眠っているヤマタノオロチの頭を、剣で次々と切り落としていきヤマタノオロチを倒しました。
余談ですが、映画「シン・ゴジラ」では、ゴジラを倒す作戦をヤシオリ作戦と言っていました。
シンゴジラは日本神話がモチーフになってるんですね。
アメノムラクモの発見
スサノオがヤマタノオロチの首を落とし、最後に尻尾を斬り落とそうとしました。ところが、剣が何か硬い物に当たったのです。
スサノオが切り裂いてみると中から一本の剣が見つかりました。スサノオはこの剣に
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と名付けたのです。
そして、今までの無礼を詫びるために、高天原にいるアマテラスに献上したのです。
こうして、天叢雲剣は三種の神器に加わり、後に草薙の剣と呼ばれるようになります。
三種の神器に関しては、こちらの記事を読んでください
オオクニヌシとスサノオ
クシナダ姫と結婚したスサノオは、島根県の須賀という場所に宮殿を建てて暮らすことになりました。
そして、長い年月が経ち、クシナダ姫とスサノオの子孫に、大己貴神(おおなむちのかみ)という神様が現れます。
このオオナムチが後に大国主神という、日本最初の支配者となる神様ですが、オオクニヌシの大出世には、スサノオが関わっているのです。
オオクニヌシことオオナムチは八上姫(やかみひめ)という、とても美人な女神と結婚することになりましたが、兄たちの嫉妬を買ってしまい、命を狙われることになりました。
そこで、根堅州国(ねのかたすくに)という、地底の世界にある国にいるスサノオのところに逃げていきました。
あれれ? スサノオ様はクシナダ姫と島根の須賀という場所にいたんじゃないですか?
実はスサノオ様は、母親であるイザナミ様がいる黄泉の国の近くの根堅州国に引っ越したのじゃ。
なるほど、お母さんに会いたがってましたからね。
須勢理姫との出会い
スサノオの宮殿に逃げてきたオオナムチですが、最初に出会ったのはスサノオの娘である須勢理姫でした。
オオナムチ「この子、めっちゃ美人!」
スセリビメ「この人、すごくイケメン」
オオナムチとスセリビメは一瞬で恋に落ちて、その場で合体しました。
こうして、二神は夫婦となるのですが、神話の世界に婚姻届けなんてものはなく、肉体関係を結んだ時点で夫婦となったのです。
ことを済ませた後、スセリビメは父であるスサノオにオオナムチを紹介します。
スセリビメ「イケメンがお父様を訪ねてきたわ」
オオナムチを見たスサノオは、こう言いました。
スサノオ「こいつは葦原醜男(あしはらのしこお)だ」
葦原醜男って、どういう意味ですか?
葦原というのは昔の日本のこと、醜男はブサイク男、という意味じゃ。だから、スサノオはオオナムチを、「日本のブサイク男」と呼んだんじゃ。おそらく、娘を取られたことが悔しかったのかもしれんのぉ
スサノオの試練
オオナムチはいきなり、義父であるスサノオに嫌われたわけですね。さて、この後、スサノオはオオナムチに試練……というか、嫌がらせをしまくります。
毒蛇や毒虫がたくさんいる洞窟で寝ることを強要したりしました。ところが、こっそりスセリビメが蛇や虫を操る不思議な布を渡し、陰でサポートしていたのです。
ところが、ある日、スサノオはオオナムチを焼き殺そうとしました。
愛の逃避行とスサノオ
なんとか、窮地を脱出したオオナムチでしたが流石に身の危険を感じ、スサノオの宮殿から逃げることを決意します。
まず、寝ているスサノオの神を宮殿の柱に縛り付け、スセリビメのところに向かいました。
オオナムチ「スセリビメ、私と一緒に逃げてくれないか?」
スセリビメ「もちろん、私は貴方についていきます」
オオナムチはスセリビメを背負い、スサノオの琴、弓、剣までも持ち出しました。
なぜ、琴を持ち出したのかというと、琴には神の言葉を聞くために必要なアイテムだったからです。
こうして、宮殿から逃げ出したオオナムチとスセリビメですが、琴が木に当たってしまいました。ただの琴ならともかく、スサノオの持っていた琴なので、ものすごい音を鳴らしました。
スサノオ「何事だ! まさか、オオナムチのやつ逃げ出したな!」
スサノオは目を覚まして、オオナムチを追いかけました。
逃げるオオナムチ、追いかけるスサノオ! ところが、歳をとったスサノオは若いオオナムチに追いつくことができませんでした。
スサノオ「よくよく考えたら俺、あいつに悪いことをしたなぁ」
スサノオはオオナムチに意地悪をしたことが、申し訳なくなってきたのです。
スサノオ「待ってくれ! 俺が悪かった! 意地悪してすまない」
スサノオはオオナムチに謝りはじめました。
スサノオ「娘のことはお前に任せる! だから、許してくれ。そして、俺の剣と弓を使って、地上を平定してお前が王となり、オオクニヌシと名乗るのだ!」
こうして、オオナムチはスサノオから、オオクニヌシという名前をもらいました。
そして、スサノオからもらった剣と弓を使って、地上を平定して、日本最初の支配者となるのです。
以上がスサノオの神話です。オオクニヌシに名前を与えて以降、スサノオは神話に登場しなくなります。
また、暴れん坊だったり、怪物を倒したヒーローだったり、義理の息子に意地悪していたかと思ったら改心したりする、多面性を持った神様だということがわかります。
キャラがころころ変わるので「複数の神様を合体させた神様ではないか」と言われています。
スサノオを祭る神社
八坂神社
スサノオを祭る神社で一番有名なのは、祇園祭りの中心となる京都の八坂神社かもしれません。
しかし、八坂神社は元々、牛頭天王という仏教系の神様を祭る神社でした。
神仏習合という仏教と神道を同一視する考えによって、牛頭天王とスサノオが合体して八坂神社に長く祭られていました。
しかし明治政府が神仏分離令という仏教と神道を分ける法令を出したことによって、御祭神が牛頭天王からスサノオに変わりました。
津島神社もスサノオを祭る神社ですが、こちらも元々牛頭天王を祭っていた神社でした。
神仏分離令については、こちらの記事を読んでください。
日本には数多くのスサノオを祭る神社があります。
それらの多くは、八坂神社や津島神社の分社が多く、元々の御祭神も牛頭天王でしたが、明治時代からスサノオに変わったところが多いです。
スサノオは出雲の神様?
八坂神社や津島神社が元々牛頭天王を祭っていたのはわかりましたが、スサノオ様の信仰は、どこから始まったのでしょうか?
神話を見ればわかるが、元々は出雲(島根県)の神様だったと言われているのじゃ
スサノオは出雲に降りたち、
出雲にいたヤマタノオロチを倒し、
出雲に住んでいたクシナダ姫と結婚して、
出雲に宮殿を建てて、
出雲の神様であるオオクニヌシを育てました。
このように、スサノオは出雲と関わりが深い神様なので、出雲出身の神様と言われています。
また、島根にはスサノオを祭る神社も数多く存在しています。
熊野大社
島根にはたくさんスサノオを祭る神社がありますが、信仰の始まりと言われるのは熊野大社です。
和歌山県にも熊野本宮大社というスサノオを祭る神社がありますが、一説によると島根県の熊野大社周辺に住んでいた人が、和歌山県に移住して造ったのが、熊野本宮大社という話があります。
また、熊野大社は日本の火が発祥した神社と言われていて日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)という別名もあります。
スサノオの子供たち
スサノオ様はとても子供が多い神様なのじゃ。たとえば、わしのボスの宇迦之御魂神もスサノオ様の子供なのじゃ
そうなんですね! クシナダ姫様とたくさん子供をつくったんですね
いや……そうでも、なかったりするのじゃ
スサノオはとても子供が多い神様ですが、その多くはクシナダ姫との間にできた子供じゃなかったりします。
クシナダ姫との間には八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)という子供が産まれ、この神様がオオクニヌシの祖先となります。
しかし、稲荷神である宇迦之御魂神は、神大市姫(かむおおいちひめ)との間に産まれました。
また、母親が不明な子供もいて、オオクニヌシと結婚したスセリビメは母親がわかりません。
このように、多くの女神と関係を持ち、たくさん子供をつくったので、縁結びや子宝、子孫繁栄のご利益があるのです。
男神が子種を撒き散らしてたくさん子供をつくることは、五穀豊穣、大漁祈願、子孫繁栄につながるため、とても縁起がいいとされています。
ただし、神様の浮気は許されますが、現実世界では賠償金問題や家庭崩壊につながるので、注意しましょう。
【楽しい神社のお話】~諏訪大社ってどんな神社?~
インスタグラムにてフォロワーさんから「諏訪神社ってどんな神社なんですか?」というご質問をいただきました。
なので、今回は諏訪大社についてお話していきたいと思います。
ぜひ、インスタグラムにも遊びに来てください。
諏訪神社には神様どんな神様が祭られているの?
諏訪大社画像
諏訪神社の御祭神は、大国主神の息子である建御名方神と、その妻である八坂姫神です。
諏訪神社のご利益
諏訪神社の総本宮である諏訪大社は、諏訪湖の周辺にあるから、水と関わりが深い神様なのじゃ
また、漁業だけでなく、諏訪大社は狩猟生活をしていた縄文人が元になっているので、狩猟のご利益もあります
諏訪大社創建の歴史
全国の諏訪神社は、長野県にある諏訪湖の周辺にある諏訪大社が総本宮となっています。
諏訪大社の歴史はとても古く、創立の歴史は神話の時代からつづいています。
また、この地方は縄文時代に行われていた祭事の跡が発見されており、神社の中でも最古の分類にはいる神社だと言われています。
古事記から見た諏訪大社の歴史
建御名方神と建御雷神の対決
古事記では、日本の最初支配者はオオクニヌシでした。ところが、天から地上の様子をみていたアマテラスは「自分の息子の方が、支配者にふさわしい」と考えます。
そこで、アマテラスは使者を送りました。
しかし、オオクニヌシは争うのではなく、美女と宴会でもてなすことで、使者を懐柔して、ことをウヤムヤにしていったのです。
アマテラスは最終的に剣と雷を司る軍神である建御雷神(たけみかづちのかみ)を、オオクニヌシがいる出雲(島根県)に送りました。
タケミカヅチ「アマテラス様に国を明け渡しなさい!」
タケミカヅチは武力でオオクニヌシに迫りました。オオクニヌシ側の神々は「大人しく従ったほうがいいですよ」と、あきらめムードになります。
ところが、オオクニヌシの子供たちの中でも、最も力が強いマッチョの神様であるタケミナカタだけは、タケミカズチに抵抗したのです。
タケミナカタはタケミカヅチの腕を掴み、力比べで勝負しようとしました。
タケミカヅチとタケミナカタの力比べが、相撲の起源とも言われているんじゃ
タケミナカタの敗走
掴んだタケミカヅチの腕が剣に変わり、それにタケミナカタは驚いてしまいました。その隙に、タケミカヅチはタケミナカタを投げ飛ばしてしまいます。
勝負に負けたタケミナカタは出雲(島根)から逃げ出し、長野県に逃げていきました。
ところが、諏訪湖あたりでタケミナカタはタケミカヅチに追い詰められました。
追い詰められたタケミナカタは、画像のように命乞いをしました。それを聞き入れたタケミカヅチは、命まで奪うことはありませんでした。
タケミナカタの敗走によって、諏訪湖周辺にタケミナカタを祭る諏訪大社ができたのです。
古事記と地方神話の違い
タケミナカタが出雲から逃げてきて、諏訪大社ができたというのは古事記に書いてある神話で、諏訪地方に伝わる神話は違うものになってるのじゃ
そうなんですね。ぜひ、諏訪地方の神話も聞いてみたいです。
もともと諏訪地方には、モレヤ神という神様がいました。ところが、諏訪地方にタケミナカタが攻め込んできたのです。
モレヤ神は抵抗してタケミナカタと戦いましたが、負けてしまいます。
こうして、諏訪地方はタケミナカタが支配することになり、諏訪大社ができるのです。
モレヤ神は命まで奪われることはなくタケミナカタに服従して神官になり、代々諏訪大社の神官長を務めてきた守矢一族の祖先となりました。
モレヤ神を祭る洩矢神社も、諏訪湖周辺にあるのじゃ
ところで、なぜ地方神話と古事記の神話に違いがあるのでしょうか?
古事記というのは、西暦700年ごろの皇室によって作られた書物じゃ。当時の天皇にとって都合の悪い神話は改ざんされている可能性があるのじゃ
本殿がない諏訪大社
諏訪大社は一つの神社ではなく、本宮、前宮、秋宮、春宮の4つにわかれているのじゃ
そうなんですね! 白狐先生、なぜ分かれているのか教えてください
白狐先生の言う通り諏訪大社は4つの神社の総称なのです。
諏訪湖の南側にある前宮、本宮でタケミナカタを祭っており、この二社を総称して上社といいます。
そして、諏訪湖を挟んで北側にある秋宮、春宮にはタケミナカタの妻である、八坂姫神が祭られており、この二社を総称して下社といいます。
ちょっとややこしいので、下の図で説明しますね
ちなみに、伊勢神宮も外宮と内宮にわかれていて、外宮から参拝するのが正式な参拝方法ですが、諏訪大社はどの神社から参拝してもいいです。
それでは、それぞれの神社を見ていきましょう。
タケミナカタを祭る上社
前宮ってこんな神社
諏訪大社前宮は諏訪地方にやってきたタケミナカタの家があったと言われる場所で、諏訪信仰が発祥した場所と言われています。
本宮ってこんな神社
前宮から約2キロほど離れたところにあるのが、諏訪大社本宮です。
実は上社には拝殿こそあるものの、御神体を保管する本殿がありません。
なぜなら、上社の御神体は守屋山という山そのものだからです。このように自然物を御神体として祭る信仰を神奈備信仰(かんなびしんこう)と言って、神社の中でもかなり古い信仰形式になります。
神奈備信仰に関してはこちらの記事を読んでください
このように、神社の中でも古い信仰形式を残しているので、諏訪大社は最古の神社の候補の一つでもあります。
最古の神社と言われているのは、奈良県の大神神社や三重県の花の窟屋神社などがあるが、古代日本は文字を使っていなかったから記録が残っておらんのじゃ。だから、どこが最古か断言することはできんのじゃ
八坂姫を祭る下社
春宮ってこんな神社
下社も上社と同じく拝殿こそあるものの、御神体と保管する本殿がありません。というのも、下社の御神体は木だからです。
拝殿の奥に杉の木があり、春宮はこの杉の木を御神体としています。
また春宮には、万治の石仏という仏様が鎮座しています。
万治の石仏は江戸時代ごろに、春宮の鳥居を造ろうとして近くにあった石にノミを打ち込みました。
すると石から血が流れ始めたため、驚いた職人は鳥居の作成を中止しました。
代わりに血が流れた不思議な石を、阿弥陀如来像にすることにして造られたのが、万治の石仏をいわれています。
ユニークな見た目をしているので、多くの人に親しまれ日本のモアイなんて言われたりもしています。
春宮を訪れた時には、万治の石仏も見てみたいですね!
秋宮ってこんな神社
春宮の御神体が杉の木なのに対して、秋宮の御神体はイチイの木です。
やはりこちらの神社も本殿がなく、御神体は拝殿奥に祭られています。
謎多き神様 ミシャクジ様
諏訪信仰で忘れちゃいけないのが、ミシャクジ様という神様の存在じゃ
ミシャクジ様ですか? 聞いたことがないですね
古事記や日本書紀に書いてある神様ではなく、民間で信仰されていた神様じゃ。木や石に宿る精霊とも言われているのぉ
ミシャクジ様は諏訪地方から始まった信仰です。中部地方や近畿地方にも伝わったそうですが、諏訪地方には現代でもミシャクジ様信仰は残っています。
前宮と本宮の間には神官長守矢資料館という博物館があるのですが、そこにはミシャクジ様を祭る社があります。
それでは、ミシャクジ様がどんな神様なのかお話していきます。
縄文時代から存在した神様
ミシャクジ様はわからないことが多い神様です。その正体について様々な説がありますが、ハッキリしたことはわかりません。
諏訪湖周辺は縄文時代の遺跡が多く発見されていて、祭祀に使われていたとされる道具も多数発見されています。
なので、ミシャクジ様は縄文人が信仰していた、かなり古い神様なのかもしれません。
ミシャクジ様の正体は?
石の神様とも言われているし、蛇の神様、狩猟の神様だったとも言われています。
正体はわかりませんが、自然に宿る精霊のような存在ではないでしょうか。
また、諏訪大社の上社には、かつて大祝(おおほうり)と言われる最高位の神官がいたとされています。
この大祝と言われていた人はタケミナカタが宿るとされていて、生きた御神体として崇拝されていたそうです。
そして、モレヤ神の子孫である守矢一族は、ミシャクジ様を大祝に降ろす秘術を使うことができる人物とされていました。
諏訪大社はただの神社ではなく、大昔から続く古代の信仰のあとを現代まで残している神秘的な神社なのがわかってくれたかと思います。
以上が謎多き不思議な神社、諏訪大社のお話でした。
【楽しい神社のお話】日本一の伊勢神宮
日本の最高神である天照大御神を祭る伊勢神宮が、日本一の神社と言われています。
今回は伊勢神宮の創建の歴史や参拝の仕方などを、楽しく、わかりやすく、お話していくのでぜひ最後まで読んでください。
御祭神である天照大御神については、こちらの記事を読んでください
伊勢神宮のご利益
伊勢神宮で祭られている天照大御神は、日本の総氏神と言われているんじゃ。だから、国を守り平和を願う国家安泰が一番のご利益になってるんじゃ
氏神というのは、特定の一族の守り神のことです。最近は一族ではなく、特定の地域の守り神を表す言葉になっています。
天照大御神日本の神々のリーダーであり、伊勢神宮が全国の神社の頂点です。
なので、天照大御神は日本の総氏神なので、日本人という民族と、日本という土地を守ってくれているのが伊勢神宮なのです。
伊勢神宮創立の歴史
日本はアマテラスの孫である邇邇芸神(ニニギノカミ)が統治することになりました。
アマテラスはニニギに三種の神器を持たせて、天の世界から地上に送りました。そして、ニニギは宮城県にある高千穂峡に降りたったと言われています。
三種の神器に関してはこちらの記事を読んでください。
アマテラスの孫であるニニギが、天から地上に降りてきたできごとを、日本神話では天孫降臨(てんそんこうりん)と言います。
天孫降臨の後、ニニギの4代後の子孫に初代天皇となる神武天皇が登場するのですが、神武天皇は奈良県で即位したと言われています。
こうして、現在の皇室の元となる大和朝廷が誕生したのです。
昔は奈良県が日本の首都だったんですね
八咫鏡の大移動!
八咫鏡にはアマテラスの力がこめられていると言われています。
八咫鏡はほかの三種の神器と共に、長く皇居にて祭られていましたが、10代目天皇である景行天皇は「近くに八咫鏡があるのは、恐れ多きことだ」と言いました。
要するに、家で八咫鏡を祭ることが怖くなったんですね。
そこで、斎王だった豊鋤入姫命(とよすけいりびめのみこと)という女性に、八咫鏡の移動を命じます。
斎王ってなんですか?
アマテラス様に従える女性のことじゃ。未婚の皇族の女性から選ばれたと言われていて、神に従える身ゆえに、結婚どころか恋愛することさえも許されてなかったと言われているんじゃ
伊勢神宮創立
豊鋤入姫命は八咫鏡を祭る場所を求めて各地を転々としました。
ところが、なかなかいい場所が見つかりませんでした。そして、斎王の位は豊鍬入姫命から倭姫命(やまとひめのみこと)に移ります。
そして、三重県にある五十鈴川に来た時のこと
アマテラス「ここが気に入ったわ」
という神託があり、三重県を流れる五十鈴川の近くに現在の伊勢神宮ができたのです。
各地に点在する元伊勢
上の画像は八咫鏡が一時的に鎮座していた場所じゃ
豊鋤入姫命と倭姫命は、こんなにもたくさんの場所を移動したんですね!
そうじゃな。豊鋤入姫命と倭姫命の足跡ともいえるのぉ。一時的とはいえ、八咫鏡が鎮座していたから、元伊勢とも呼ばれているんじゃ
元伊勢と言われる神社は各地に存在します。数が多すぎるので全てを紹介することはできませんが、有名なところをご紹介します。
元伊勢 籠神社(このじんじゃ)
籠神社は日本三景で有名な天橋立の近くにある神社で、一時的に八咫鏡が鎮座していた元伊勢と言われています。
また、丹後国一之宮としても知られています。
元伊勢 真名井神社(まないじんじゃ)
真名井神社は籠神社の奥宮でもあります。
伊勢神宮の外宮には豊受大神(とようけのおおかみ)という神様が祭られているのですが、豊受大神が元々祭れていたのは、この真名井神社だったと言われています。
なぜ伊勢神宮は外宮と内宮に分かれているのか?
伊勢神宮って外宮と内宮にわかれていますよね? なぜですか?
三重県で祭っていたアマテラス様が寂しがったから、なんて言われているのぉ
伊勢神宮にアマテラスを祭っている内宮と、豊受大神(とようけのおおかみ)を祭っている外宮に分かれています。
豊受大神ってどんな神様なの?
豊受大神は食べ物を司る神様です。
アマテラスの食事係として、内宮の近くにある外宮に祭られています
なぜ外宮ができたのか?
ことの始まりは、21代目天皇である雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が寝ている時に、夢にアマテラスが現れてこう言いました。
アマテラス「一人でご飯食べるのは寂しいから、丹後(京都)から豊受大神を連れてきて」
雄略天皇はアマテラスの言葉に従い、真名井神社で祭られていた豊受大神を伊勢神宮の近くに移動させました。
こうして、伊勢神宮の近くに豊受大神を祭る外宮ができたのです。
つまり、豊受大神はアマテラスの食事係兼、ルームメイトとして京都から連れてきたのです。
伊勢神宮の正しい参拝方法
伊勢神宮は125社の神社があると言われています。
全てを参拝する必要はありませんが、外宮に行ってから、内宮に行くというのが正しい参拝方法です。
この記事を読んだ人は、ぜひ正しい順番で参拝してください
以上が伊勢神宮の歴史と、正しい参拝方法のお話でした。この記事が皆様の神社参拝の参考になれば嬉しいです。
【わかりやすい神様のお話】~日本の最高神 天照大御神~
白狐先生、日本神話の最高神って天照大御神(あまてらすおおみかみ)なんですよね
そうじゃな。わしのボスの稲荷神様(宇迦御魂神)などの、日本の神様を総ているのは、伊勢神宮の御祭神である天照大御神じゃ
天照大御神ってどんな神様なんですか? 白狐先生教えてください
今回は日本の最高神である天照大御神のお話です。
言わずと知れた伊勢神宮の御祭神であり、太陽を司る神様です。
天照大御神がどんな神様でどのような神話があるのか、楽しく、わかりやすくお話していくので、ぜひ最後まで読んでください。
天照大御神のご利益
天皇陛下は皇居にある特別な神殿で、常に天照大御神に国家安泰を祈っておられるのじゃ
私たちが安心、安全に暮らせるのも、天照大御神と天皇のおかげかもしれませんね
天照大御神のご神格
- 日本の最高神
- 太陽神
- 皇祖神
- 総氏神
皇祖神というのは、天皇家のご先祖さまにあたる神様のことで、天照大御神の5代あとの子孫が、初代天皇である神武天皇となりました。
氏神というのは、特定の一族の守り神のことです(最近では、特定の地域の守り神のことを言うそうです)。
なので総氏神というのは全国の神様の中心という意味でありながら、日本人全員の守り神ということなのです。
天照大御神の神話
天照大御神様がどんな神様かわかったところで、神話を話していくのじゃ
どんな神話があるか、楽しみです
天照大御神の誕生
アマテラスの父にあたる伊邪那岐神(イザナギノカミ)は、妻である伊邪那美神(イザナギノカミ)と死別してしまいます。
イザナギは亡き妻を死者の国である、黄泉の国へ迎えにいくのですが……
黄泉の国いたイザナミはゾンビのような姿をしていて、それに驚いたイザナギは逃げ帰ります。
イザナギは死者の国で受けた汚れを洗い清めるために、海に入って禊(みそぎ)を行うことにしました。
そして、顔を洗った時、左目からアマテラスが、右目から月読神(ツキヨミノカミ)が、そして鼻から須佐之男神(スサノオノカミ)が生まれました。
イザナギ、イザナミに関してはこちらの記事を読んでください
アマテラスの子供たち
太陽の神であるアマテラスは昼の世界を
月の神様であるツキヨミは夜の世界を
そして、スサノオは海の世界を、それぞれイザナギから任されましたが……
スサノオは「お母さんに会いたい」と言って、駄々をこねていました。なので、海の世界は安定せず、荒れ狂っていました。
イザナギ「お前は、天津神(天の神)失格だ! 地上に追放する!」
父の怒りを買ったスサノオは、地上へ追放されることになりました。
こうして、地上へ追放されることになったスサノオでしたが、姉のアマテラスのことろにあいさつしに行くことにしましたが、アマテラスは「スサノオが攻めてきたわ!」と勘違いします。
アマテラスは武装してスサノオを迎え撃つことにしました。
スサノオ「姉ちゃん! 俺は悪いことなんて考えてないよ! 誓約(うけい)で俺の身の潔白を証明する」
誓約(うけい)って、なんですか?
占いの良し悪しで、勝負するようなものじゃな
スサノオは剣を差し出すと、アマテラスはそれを嚙み砕き息を吹きかけました。
すると、三柱の美しい女神が誕生しました。この女神が宗像大社で祭られている宗像三女神です。
アマテラスは持っていた勾玉を差し出しました。そして、スサノオがそれを噛み砕き息を吹きかけると、五柱のイケメンの神様が誕生します。
- 長男 天之忍穂耳神(アメノオシホミミノカミ)
- 次男 天之菩卑能神(アメノホヒノカミ)
- 三男 天津彦根神(アマツヒコネノカミ)
- 四男 粋津日根子神(イクツネヒコネノカミ)
- 五男 熊野久須彦毘神(クマノクスビノカミ)
五男三女の神々は、アマテラスとスサノオから生まれした。なので、スサノオはアマテラスの誓約上の配偶者となっています。
天照大御神と須佐之男神は兄弟ですよね! なのに、配偶者なんですか?
配偶者といっても、あくまで誓約上というだけで、肉体関係を結んだわけではない。それに、天照大御神は独身の神様じゃ
勝敗は決まらず……
アマテラスとスサノオは、細かいルールを決めずに誓約をはじめてしまいました。
どういうことかというと、子供の数が多ければ勝ちなのか? それともどちらの性別が生まれた方が勝ちなのか……勝負の判定を決めずに、誓約をはじめてしまったのです。
アマテラス「私の子供はイケメンだし、数が多いから私の勝ち!」
スサノオ「いやいや、俺の子供の方が、美人だし性格もいいから、俺の勝ち!」
こんな感じで、お互いゆずらず勝負は曖昧な形で終わってしまいました。
世界が闇に包まれた岩戸隠れ
ただあいさつしにきただけなのに、姉に疑われたり、誓約は曖昧に終わったりして、スサノオはムシャクシャしていました。
そして、スサノオは神々が住む世界である、高天原で暴れまわります。
スサノオの蛮行に気を病んでしまったアマテラスは、天の岩戸という洞窟に引きこもってしまいました。
しかも、入口を大きな岩で閉じてしまいます。
太陽を司るアマテラスが隠れてしまったので、世界から太陽の光が消えて闇に包まれてしまいます。
知恵の神である思兼神(オモイカネノカミ)は「岩戸の前で祭りをして、アマテラス様の気を引こう」と考えます。
そして、踊り子の神である天宇受売神(アメノウズメノカミ)と、力の神である手力神(タジカラノカミ)を連れてきました。
そして、アメノウズメが踊り、岩戸の前で賑やかにしました。
すると、外の騒がしさが気になったアマテラスが、岩戸の前の岩を少しだけ開けました。
アメノウズメが言った「すごい神様」というのは、八咫鏡に映し出されたアマテラス自身の姿でした。
アマテラス「もう少し、よく見たい」
そう思ったアマテラスが大きく岩を動かした時、タジカラが岩をぶん投げて、アマテラスを外に連れ出したのです。
こうして、世界は太陽の光を取り戻しました。一方で、今回の岩戸隠れという事件の責任を取らせるために、スサノオは地上に完全に追放となりました。
天照大御神の国譲り
地上に追放となったスサノオがヤマタノオロチを倒し、その体内から草薙の剣を発見しました。
今までの無礼を詫びるために、スサノオはアマテラスに草薙の剣を献上します。
こうして、八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙の剣からなる三種の神器が誕生します。
三種の神器に関してはこちらの記事を読んでください
スサノオの子孫から大国主神(オオクニヌシノカミ)が現れ、日本最初の支配者となりました。
しかし地上は争いが多く、それを天から見ていたアマテラスは「自分の息子の方が支配者に相応しい」と考えます。
そこで、長男の天之忍穂耳神(アメノオシホミミノカミ)を地上に送りましたが……
「天津神の支配に反対!」
「地上はオオクニヌシ様のものだ!」
こんな感じで地上の神々によるデモ活動が起きていました。それを見たアメノオシホノミミは……
アメノオシホノミミ「地上やべぇ!」
怖がって逃げ帰りました。
そこでアマテラスは次男の)天之菩卑能神(アメノホヒノカミ。次に天若日子神(アメノワカヒコノカミ)を、送り込みました。
しかし、オオクニヌシは世渡り上手で、宴会でもてなしたり、美女に誘惑させて色仕掛けをしかけたりしました。
争うのではなく、懐柔してことをウヤムヤにしていったのです。
全然、ことが進まないので、アマテラスは剣と雷を司る最強の武神である建御雷神(タケミカヅチノカミ)を送り込みました。
タケミカヅチはものすごく強くて、武力でオオクニヌシを迫りました。
オオクニヌシはこれ以上、争っても無意味だと悟り、自分の隠居先である出雲大社を造ることを引き換えに、国をアマテラスに譲りました。
こうして、国譲りは達成されるのです。
アマテラスの孫が地上に降りることになる
こうして、地上はアマテラスのものになりました。そして、長男であるアメノオシホノミミを地上に送ろうとするのですが、本人はなぜか渋ります。
アメノオシホノミミ「言ってなかったんですが、実はお母さんが国譲りで忙しそうにしている間に子供ができまして」
なんと、アマテラスは本人が知らない間に、おばあちゃんになっていたのです。
アメノオシホノミミ「名前は邇邇芸(ニニギ)と言います。私の息子に行かせましょう」
アマテラス「それもそうね」
こうして、天照大御神の孫である邇邇芸神が地上の支配者として、降臨することになったので、日本神話では天孫降臨(てんそんこうりん)と言われています。
ニニギは三種の神器を持ち、宮崎県の高千穂峡に降りたったと言われています。
そして、ニニギから4代後の子孫に誕生したのが、初代天皇となる神武天皇です。
天照大御神を祭る神社
伊勢神宮
三種の神器の一つである八咫鏡にはアマテラスの力が宿っていると言われいます。
神武天皇は大和(奈良県)で即位し、後の皇室となる大和朝廷を立ち上げました。
要するに昔の日本の首都は東京じゃなくて、奈良県だったんですね
最初は皇居で八咫鏡を祭っていたのですが、10代目天皇である崇神天皇(すじんてんのう)は、「すぐ近くに八咫鏡あることは恐れ多いことだ」と思いました。
そこで、娘の豊鋤入姫命(とよすけいりひめのみこと)に、八咫鏡の移動を命令します。
各地を転々とするも、なかなかいい場所が決まりませんでした。時は流れて、八咫鏡は倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれます。
そして、倭姫が三重県にある五十鈴川まで来た時……
アマテラス「ここが気に入ったわ」
という神託があり、この五十鈴川のほとりに八咫鏡が鎮座することになりました。
こうして、三重県に日本一の神社である伊勢神宮ができるのです。
東京大神宮
東京大神宮は「東京のお伊勢さん」として知られています。
創立は比較的新しく1880年(明治13年)で、大隈重信の邸宅跡に建てられました。
御祭神も伊勢神宮と同じく内宮の天照大御神と、外宮の豊受大神(トヨウケノオオカミ)が祭られており、伊勢神宮の遥拝所(ようはいじょ)として建設されました。
遥拝殿ってなんですか?
遠く離れたところからでも、特定の神様を拝むために造られた場所のことじゃ
交通機関が発達した現代なら、東京から三重まで行くのは簡単になりましたが、交通インフラが未発達な明治時代は、東京から伊勢神宮に行くのは難しかったです。
そこで、遥拝所である東京大神宮が建てられたのですね。
以上が日本神話の最高神、天照大御神のお話でした。後日、伊勢神宮に関してはより詳しくお話したいと思います。
【楽しい神様のお話】謎多き女神~瀬織津姫~
インスタグラムにて「瀬織津姫(せおりつひめ)って、どんな神様ですか?」というご質問をいただきました。
インスタにて解答をしましたが情報量が限られており、全てを語り切れなかったので、ブログの方でもお話していきたいと思います。
インスタグラムにも、遊びに来てください
古事記や日本書紀に登場しない神様
瀬織津姫ってどんな神様なんですか? 古事記や日本書紀を勉強してるんですが、聞いたことがありません
そりゃそうじゃ。瀬織津姫は古事記や日本書紀には登場しない神様じゃからのぉ
古事記や日本書紀は、日本の神様の系図や日本神話などが記載してある、国内最古の書物です。
とても多くの神様の名前が書かれていますが、瀬織津姫に関する記述は載っていません。
では、どこに登場するのかというと、大祓詞(おおはらえのことば)という、祝詞(のりと)だけに登場する神様なのです。
大祓詞ってなに?
祝詞(のりと)というのは、神職の方が神様に捧げる言葉のことで、言霊という言葉の力が祝詞にはやどっています。
祝詞の中でも、大祓詞に宿る言霊には絶大な力があり、唱えるだけで運気上昇や除霊の効果があると言われています。
大祓詞に登場する瀬織津姫
現代語になおすと「瀬織津姫という神様が、大海原に罪を流してくれるよ」という意味じゃ
大祓の言葉はすごく長いので瀬織津姫が登場する部分だけ抜粋しました。
気になる人は下記のサイトをご覧ください。
大祓詞からわかる瀬織津姫のご神格
水と関わりが深い神様というのが、大祓詞を見ればわかりますね
なぜ瀬織津姫は古事記に書かれていないのか?
大祓詞という神道においてとても重要な祝詞には出てくるのに、日本神話を記した古事記や日本書紀には登場しません。
瀬織津姫も重要な神様なのかもしれないのに、なんで古事記や日本書紀に載っていないんですか?
それを知るにはまず、古事記や日本書紀は、誰が、なんのために書いたのか理解する必要があるのぉ
古事記、日本書紀は天武天皇のアイディアで編纂されました。
日本神話と天皇家の歴史書を作るという、天皇家の一大事業だったわけです。
そして、古事記と日本書紀の超ザックリとした内容は「天皇家は神様の子孫だよ」ということが書かれています。
古事記、日本書紀では天照大御神の5代後の子孫が、初代天皇の神武天皇ということになっています。
「天皇家は神様の子孫」ということが、嘘か真かは別として、なぜこのようなことが書かれているのかというと「天皇は神様の子孫だから、日本を支配してもいいんだよ」ということを、当時の皇室は主張したかったわけです
つまり、古事記と日本書紀は昔の天皇家が、日本を支配する正当性をアピールするために作れたという側面もあります。
もちろん、神話や歴史を後世に残すという目的もあるぞ!
当時の天皇家の都合や思惑が、含まれている可能性が高いということですね。
瀬織津姫は天皇家によって消された神様?
古事記、日本書紀は天皇家によって作られました。
なので瀬織津姫がこれらの書物に記載されてない理由には、天皇家にとって都合の悪い神様だったという可能性がでてきます。
それでは、瀬織津姫の正体について見ていきましょう。
説① 天皇家にとって都合の悪い神様だった
日本神話に登場する神々の多くは、古代日本に存在していた部族や小国のリーダー、もしくはそこが信仰していた神様だったという説があります。
弥生時代の日本は小国乱立期と言って、小さい国があちこちに点在していた時期がありました。
そんな中、現代の天皇の遠い祖先が、大和朝廷という強力な政治組織を立ち上げて、乱立していた小国をまとめます。
こうして、現代まで続く日本という国が誕生するわけですね。
天皇家は天照大御神を信仰していましたが、他国の神を否定しませんでした。
大人しく大和朝廷に従った国や部族が信仰していた神様を、天照大御神を中心とする日本神話に取り込んでいきました。
その一方で、大和朝廷に従わなかった国の神様は、神話上の敵役になったり、存在そのものが消されたと考えられます。
つまり瀬織津姫は、大和朝廷に最後まで反抗していた国のリーダーか、そこで崇拝されていた神様だったのかもしれんのじゃ!
② 天照大御神の分身説
瀬織津姫=天照大御神ではないか、という説があります。
瀬織津姫は天照大御神の荒魂(あらみたま)ではないかと言われています。
勇気や向上心を司る荒魂は、行き過ぎると自然災害や疫病などの災いを起こすと言われているので、神社の本殿とは別のところで祭られていることが多いです。
天照大御神を祭っている伊勢神宮には、本殿とは別に天照大御神を荒魂を祭る荒祭宮(あらまつりのみや)があります。
そこの御祭神はもともと瀬織津姫だったと言われています。
③ 天照大御神の妻説
「天照大御神って女性の神様じゃないの?」
このように思った人もいるかもしれませんが、天照大御神は途中で男から女に変えられたという説があります。
古事記、日本書紀は日本最古の書物ですが、実はそれよりも古いと言われているホツマツタエという書物があります(ホツマツタエが最古の書物なのか、真偽は定かではありません)
そのホツマツタエには、天照大御神が男性として書かれています。
仮にホツマツタエが事実だったとして、なんで天照大御神を男性から女性に変えなければいけなかったんですか?
それには数少ない女性天皇の持統天皇(じとうてんのう)が関わっていると言われているんじゃ
持統天皇は690年に即位した歴史上数少ない女性の天皇です。
持統天皇は少ない女性天皇の地位を向上させるために、日本の最高神である天照大御神を、男性から女性に変えたと言われています。
女性なのに妻がいるのは不自然なので、瀬織津姫の存在を消したのではないかと言われています。
瀬織津姫の正体について、色々な説があるんですね。とても、不思議な神様です
記録が残っていないから、どれが本当かはハッキリしないのぉ。なにを信じるかは自分次第ということじゃな。
大祓詞には登場するのに、古事記と日本書紀には載っていない不思議な神様、瀬織津姫のお話でした。
個人的には天皇家の陰が見え隠れしているので、皇室となんらかの因果関係がある神様なんじゃないかなと思っています。
最後まで見てくれてありがとうございました。
【わかりやすい神社のお話】八幡神社
白狐先生、Googleマップを見てたんですが、八幡神社って多いですねよ
神社は全国に約8万社あると言われているが、その内の約4万社が八幡神社なのじゃ
半分の神社が八幡神社なんですね。ところで、八幡神社ってどんな神様が祭られている神社なんですか? 白狐先生、教えてください
よし、今回は八幡神社について解説していくのじゃ
八幡神社ってどんな神社?
白狐先生が言う通り日本一多い神社と言われているのが、今回お話する八幡神社です。
4万社という数は大小合わせての数字になりますが、コンビニで1番多いセブンイレブンが約2万店舗なので、比べてみると八幡神社がどれだけ多いのかイメージしやすいかと思います。
近くの神社が八幡神社という人も多いのではないでしょうか。
八幡神社の総本宮
全国にある八幡神社の総本宮は大分県にある宇佐八幡宮です。
一般的な神社の参拝作法は二礼二拍手一礼ですが、宇佐八幡宮の場合二礼四拍手一礼になっています。
八幡神社の御利益
他にも家内安全、交通安全、厄除けなど、幅広いご利益があるんじゃ
八幡神社の御祭神
八幡神社の御祭神は応神天皇という神様を祭っています。また、別名を誉田別命(ほんだわけのみこと)とも言います。
古代日本では文字を使っていなかっため、初期の天皇家の歴史はあいまいなものが多く、初代天皇である神武天皇は実在しなかったとも言われています。
そんな、ボンヤリとした古代日本の歴史ですが、応神天皇は西暦400年ごろに実在した可能性が高いと言われています。
神話と現世の間にいる人物といえるのが、応神天皇というわけです。
また、八幡神社では応神天皇の母親である神功皇后(じんぐうこうごう)や、応神天皇と関わりが深い複数の女神を表す比売神も共に祭られています。
応神天皇ってどんな人物なの?
応神天皇は日本神話の中でも戦うヒロインとして有名な神功皇后の皇子になります。
皇后というのは、天皇の妻のことです。
その昔、仲哀天皇の后である神功皇后は住吉三神という神様から「海の向こうの朝鮮半島にある、新羅(しらぎ)という国を攻めなさい」という神託を受けました。
しかし夫である仲哀天皇は……
仲哀天皇「高いところに上ってみても、海の向こうに陸地なんて見えなし、出兵しても意味ないよ」
こんな感じで仲哀天皇は神託に逆らうのですが、あっさり死亡してしてしまいます。そこで、代わりに神功皇后が神託に従い新羅に出兵しました。
この時、神功皇后は子供を妊娠していました。
住吉三神の加護もあってか、神功皇后は新羅征伐を成功させます。ところが、朝鮮半島で産気づいてしまいました。
神功皇后「この子は、天皇の血を引いているから、日本の土地で産まなくては」
神功皇后はこのように考え、鎮懐石(ちんかいいし)というお産を抑える不思議な石を、腰に巻いて出産をがまんします。
なんとかお産をがまんして、神功皇后は日本で無事、後に応神天皇となる誉田別命を産みました。
ところが、都では……
オシクマ王「新羅に攻め込んだ神功皇后と、その息子を殺して俺が次の天皇になってやる! ぎゃはははは!」
なんと、オシクマ王という人物が天皇の座を奪うために、神功皇后と誉田別命の命を狙っていたのです。
そこで、神功皇后は、自分と誉田別命を死んだことにしました。
嘘の情報に惑わされたオシクマ王が油断したところを、神功皇后の軍勢が襲いかかり、オシクマ王を倒しました。
こうして、新羅征伐を成功させたどころか、神功皇后は皇位争いまで鎮圧したのです。
そして、幼い誉田別命の代わりに神功皇后が政治を行いました。誉田別命が成人して、応神天皇として即位すると神功皇后は政治から退きました。
不思議な宇佐八幡宮、創立
八幡神社の総本宮は宇佐八幡宮じゃが、創立には不思議な話があるんじゃ
どんなお話ですか? ぜひ聞かせてください!
西暦570年ごろ、時代区分的には飛鳥時代ですね。
大分県にある菱形池のほとりで、怪しい鍛冶師の老人や、八つの頭を持つ龍が現れるという怪異が起きていました。
その鍛冶師の老人か龍を見た人は、病気になって死んでしまうという不吉なことが続いたのです。
ある僧侶が怪異を治めるために祈祷したところ、謎の鍛冶師の老人は3歳くらいの男の子に変わって、こう言いました。
男の子「私の名前は誉田別命。国を守る力を持った神である」
こうして、菱形池に「誉田別命である応神天皇」が現れた、ということになりました。
そして、時代が大きく飛んで708年になると、菱形池の周りに社殿が建設され、全国にある八幡神社の総本宮である宇佐八幡宮ができました。
ちなみに、誉田別命が現れてから社殿が建つまで、130年くらい時間が経っていますが、その理由はわかりません。
よく神託をする神様
八幡神社の神様である応神天皇は、よく神託をすると言われています。
数ある神託の中でも、もっとも有名なのが奈良の大仏を作っているときです。
奈良の大仏は聖武天皇の案で造られました。
ところが、建設途中で大仏に塗る金が足りなくなってしまいます。
そんな時、応神天皇から神託がありました。
応神天皇「国内から金が出るから大丈夫」
すると、神託のとおり陸奥の国(東北地方)から金が発見され、奈良の大仏は完成しました。
奈良の大仏ができたのは、応神天皇の神託があったおかげと言われ、守護神として東大寺の近くに手向山八幡宮が建設されます。
八幡神社が1番多い理由
八幡神社がどんな神社かわかったところで、なぜ日本で1番多い神社か話していくぞ
八幡神社が多い理由には、サムライが関わっています。
日本初の武家政権である鎌倉幕府を開いた源頼朝は、一族の守り神として鎌倉市に鶴岡八幡宮を建てました。
当時は仏教と神道を同一視する、神仏習合の影響によって八幡神は八幡大菩薩と呼ばれていました。
神仏習合に関しては、こちらの記事をご覧ください
源頼朝が鶴岡八幡宮を建てたことにより、八幡大菩薩は源家の氏神(一族の守り神)になったわけですが、1333年に鎌倉幕府は滅んでしまいます。
しかし、初の武家政権をつくり、サムライの時代を築いた源頼朝はサムライたちのヒーローでした。
また、サムライのトップである征夷大将軍は源氏の血筋じゃないとなれないというルールがあったのです。
なんで、源家の血筋じゃないと、征夷大将軍なれないんですか?
実は源家は天皇家の親戚だったからじゃ!
武家政権の時代といえど、トップである征夷大将軍は天皇家とつながっていたんですね。
覇権を握るために争っていた戦国時代になると、多くのサムライが「俺は源家の血筋だ!」と言うようになります。
織田信長や徳川家康も、源家の血筋であることを主張しました。
余談ですが、家康よりも先に天下をとった豊臣秀吉は、源家に繋がる家系図がどうしても手に入れられなかったので、征夷大将軍はではなく関白という役職について、天下を治めていました。
このように、戦国武将にとって源家と繋がっていることは、とても重要だったんですね。
なので源家の氏神である八幡大菩薩を祭ることは、戦勝のご利益を得るためだけでなく、自分は源家の家系であることを主張できたわけです。
こうして、多くのサムライが各地に八幡神社をつくるようになりました。
そして、戦国時代が終わると、庶民に親しまれるようになり、地域の守り神として祭られるようになり、家内安全や厄除けなど、親しみやすいご利益がでてくるようになりました。
以上が八幡神社のお話でした。この記事が皆様の神社参拝の参考になればうれしいです。