【超わかりやすい!】お寺と神社の違い!
白狐先生! 神社とお寺の違いを教えてください
どうしたんじゃ? 急に?
参拝者さんから「神社とお寺の違い」を聞かれたんですが、答えられなくて……
巫女なのにそんなことも知らんのか! とは言え日本はお寺と神社が合体していた時代が1000年近くつづいたからのぉ、知らないのも無理はない。今回はお寺と神社の違いについて教えてやろう
- お寺と神社の根本的な違い
- 日本に仏教がやってきた
- 日本仏教の発展
- お寺と神社が合体した!? 神仏習合ってなに?
- 神と仏が合体した神仏習合ってなに?
- 神仏習合の影響
- 神仏習合の終わり~神仏分離令とは?~
- 神仏習合の面影を残すお寺~妙厳寺~
お寺と神社の根本的な違い
お寺の神社の違いですが、結論から言うと全く違う宗教の建物です。
神社は日本人の祖先が古代から続けてきた宗教である神道の建物です
神社の始まりに関しては、こちらの記事を見てください
神社に対してお寺というのはインドでお釈迦さまが開いた仏教という宗教の建物です
日本に仏教がやってきた
約2500年前、インドでお釈迦様が仏教という宗教を開きました。
その後、中国や朝鮮半島などアジアの国々へ広がっていきます。そして、538年ごろ朝鮮半島にあった百済(くだら)という国から、日本に仏教が伝わってきました。
538年といえば日本は飛鳥時代で、あの有名な聖徳太子(厩戸王)がいた時代です。
すんなりと日本へ仏教が入ってきたわけではなく、仏教反対派の勢力もいました。
それが物部氏(もののべし)という一族で、物部氏は「外国の宗教なんて信仰したら、日本の神様が怒る」と主張して、仏教を反対したのです。
物部氏に対して仏教を取り入れようとしたのが、蘇我氏(そがし)という一族で、蘇我氏は外国の思想である仏教を日本に取り入れようとしたのです。
なぜ蘇我氏は仏教を日本に取り入れようとしたんですか?
このころの日本には法律がなかったんじゃ。一方で他の国は仏教のルールを基に法律を作っていた。蘇我氏は外国を真似をして、日本に法律をつくろうとしていたのじゃ
飛鳥時代の日本では、仏教オススメ派の蘇我氏と、仏教イヤイヤ派の物部氏に分かれて争っていました。
結果的に蘇我氏が勝ち、日本に仏教が入ってきます。
その後、蘇我氏は繁栄して、一族から聖徳太子という歴史に名を残す政治家が生まれます。
反対に負けた物部氏は衰退していきました。
日本仏教の発展
710年に奈良時代になると、国内で仏教が大きく発展します。
当時の日本では天然痘という病気が猛威を振るい、たくさんの人が亡くなっていました。
740年ごろ当時の天皇だった聖武天皇(しょうむてんのう)は「仏様の力でなんとかしてもらおう」と考えます。
こうしてできたのが奈良の大仏です。
さらに日本に仏教を広げるために、聖武天皇は全国に国分寺というお寺をつくりました。
聖武天皇が熱心に仏教を勧めたから、日本に仏教がひろがっていったんですね。
お寺と神社が合体した!? 神仏習合ってなに?
仏教というのは悟りを開くことを目的としています。
悟りってなんですか?
悟りっていうのは、欲や迷いを捨てて心が安定した状態のことじゃ
仏教には釈迦如来や大日如来と呼ばれる仏様がいますが、如来というのは完全に悟りを開いた仏様のことで、仏教でも最高クラスの仏様です。
一方で日本神話に出てくる日本の神々というのは、性欲に振り回されたり、お酒を飲んだり、裸踊りをしたり、とても俗っぽい神様が多く登場します。
最高神の天照大御神(アマテラスオオミカミ)ですら、弟の須佐之男神(スサノオノカミ)の蛮行が嫌になって岩戸に引きこもっちゃったりしています。
このように、仏教から見て日本の神様というのは、欲や迷いに心を乱されています。
すると、仏教のお坊さんたちは「日本の神様の欲や心の迷いに苦しんでるから、仏様に救ってもらわなくちゃいけない」と考えるようになりました。
このような考えによって神道は仏教に取り込まれていきます。
すると、神社とお寺を一緒に建てた神宮寺(じんぐうじ)という建物や、お寺の境内に鎮守社(ちんじゅしゃ)という神社を造るようになっていきます。
こうして日本では、神社とお寺の垣根がなくなっていったんですね。
神と仏が合体した神仏習合ってなに?
平安時代になると本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考えが誕生します。
わぁー! 難しそうな漢字が並んでますね!
簡単にいうと「日本の神様の正体は仏様だった」という考え方じゃな
神仏習合(しんぶつしゅうごう)という考え方は、平安時代ごろから広まっていきました。
このように中世日本では日本の神様と仏様が合体していき、神道と仏教がごちゃ混ぜになった状態になっていくのです。
神仏習合の影響
神社の象徴でもある鳥居は、神域と現世を分ける役割があります。神仏習合の時代になると、鳥居を建てるお寺が現れます。
また、お経を読んだり、仏像を祭る神社が登場します。
さらに、日本古来の神様を仏の名前で呼ぶようになりました。
どんな呼ばれ方をしていたんですか?
八幡神社の神様を八幡大菩薩と呼んでたりしたんじゃ
このように、平安時代以降の日本では神道と仏教が同一視されていたため、お寺と神社が合体した状態が1000年近くつづきました。
ところが、明治時代になると神仏習合の時代が終わりを迎えます。
神仏習合の終わり~神仏分離令とは?~
1000年近くつづいた神仏習合の時代が終わったきっかえは明治維新です。
明治維新というのは、新政府軍が江戸幕府を倒し明治政府をつくったという、大きな政変です。また、この時できた明治政府が、内閣総理大臣を中心とする現代の政府へとつづいていきます。
明治政府は神道によって国民の思想を統一しようとしていました。だから神道を強化する必要があったのです。
そのために、合体していた仏教と神道を分離させる必要がありました。
そこで、明治政府は仏教と神道を分ける神仏分離令という法令を出します。
お寺に鳥居を建てることを禁止して、既存のものは壊されていきました。
さらに、日本の神様を仏の名前で呼ぶことや、神社でお経を読んだり仏像を祭ることを禁止しました。
この神仏分離令によって、神道と仏教が分かれたので、神社とお寺も明確に区別されていきます。
明治以降、神仏習合という考えは廃れていきました。
こうして神社とお寺が明確に分かれている現代へと続いていきます。
しかし、神社とお寺が分かれている現代よりも、神仏習合の時代の方が長く続いていました。
「神社とお寺の違いがわからない」と言う、日本人が多くいるように感じますが、それは神仏習合の時代が長かったからと私は思っています。
神仏習合の面影を残すお寺~妙厳寺~
神仏分離令によってお寺に鳥居を建てることを禁止されました。
お寺の鳥居の多くは壊されてしまいましたが、残っているところもあります。
愛知県豊川市にある妙厳寺(みょうごんじ)というお寺は、鳥居がある珍しいお寺です。
妙厳寺は境内の鎮守社として稲荷神を祭っています。そのため豊川稲荷と呼ばれるようになりました。
豊川稲荷は昔の信仰形式を残しているお寺なんですね。行ってみたいです
それはいいのぉ。あそこの参道のいなり寿司が美味いんじゃ!
豊川稲荷がいなり寿司が発祥した場所と言われています。
以上が「お寺と神社の違い」のお話でした。