だれでもわかる 三種の神器の解説
三種の神器は神社が好きなら聞いたことがると思います。
八咫鏡(やたのかがみ)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)
この3つは神話時代から日本に伝わる秘宝で、皇位の証として歴代の天皇が継承してきました。
神話時代の秘宝が現代まで残っているなんて、すごいですね!
三種の神器についてわかりやすく解説してくぞ!
八咫鏡と八尺瓊勾玉の誕生
その昔、天の世界で須佐之男神(スサノオノカミ)という神様が暴れていました。
それに気を病んだ天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、天岩戸(あめのいわと)という洞窟に隠れて、入口を岩で塞いで引きこもってしまいます。
太陽をつかさどるアマテラスが洞窟に引きこもっちゃったので、大変なことになります。
空から日の光が消えて、世界が闇に包まれてしまったのです。
しかし、知恵の神である思金神(オモイカネノカミ)が、アマテラスを誘い出すために祭りをすることを思いつきます。
オモイカネは
こうして準備を進めた神々は、マッチョな神様である手力男神(タジカラノオノカミ)と、ダンサーの天宇受売命(アメノウスメノカミ)という神様、そして大量のニワトリを天岩戸の前に待機させました。
そして、祭りがはじまると、八尺瓊勾玉から音楽が流れはじめ、ニワトリが一斉に鳴き始めました。
音楽に合わせてアメノウズメが踊ると、神々は歓声を上げます。
すると、岩戸の中にいたアマテラスは、あまりにも騒がしいので外が気になり始めました。
そして、岩戸を閉じている岩を少しずらして、近くにいたアメノウズメに声を掛けます。
アメノウズメが言う「すごい神様」が気になったアマテラスは、その姿をよく見ようと岩戸を閉じている岩を大きく動かしました。
ところが、アマテラスが見ていたのは八咫鏡に映った自分だったのです。
しかし、アマテラスは鏡に映った自分ということに気づかずに、岩戸を閉じている岩をより大きく動かした、その隙にタジカラが岩を遠くに投げ飛ばしました。
アマテラスが岩戸から誘い出し世界に太陽の光を取り戻す、岩戸開きはこうして達成されました。
こうして八咫鏡と八尺瓊勾玉ができたんですね!
草薙ぎの剣の誕生
岩戸隠れの原因はスサノオが暴れたからということで責任を取らせるために、神々が住む天の世界である高天原(たかまがはら)から地上へと追放されることになりました。
こうして、スサノオは出雲(現在の島根県)に降り立ちます。
そこで、スサノオは櫛名田姫(クシナダヒメ)という美女に出会い恋に落ちます。
ところが、クシナダヒメはヤマタノオロチという怪物に食べられることになっていました。
スサノオはヤマタノオロチを倒して、クシナダヒメと結婚することを誓います。
そして、スサノオは強いお酒を用意してヤマタノオロチに飲ませ、酔っぱらって油断したところを襲いました。
こうして、ヤマタノオロチを倒したスサノオが、剣で尻尾を斬りつけたところ、固い何かに刃が当たりました。
調べてみるとヤマタノオロチの尻尾から、一本の剣が出てきたのです。
スサノオは出てきた剣に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と名付けました。そして、今までの無礼を詫びるために天の世界にいるアマテラスに、天叢雲剣を献上しました。
こうして、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣という三種の神器がそろうわけです。
あれ? 草薙の剣のお話じゃないんですか?
天叢雲剣と草薙の剣は同じ剣だと言われているんじゃ。次はなぜ草薙の剣と呼ばれるようになったか、解説していくぞ!
天叢雲剣から草薙ぎの剣へ
天皇家の遠い祖先であり、アマテラスの孫である邇邇芸神(ニニギノカミ)が地上を統治するために、天から降りてきました。
この出来事を日本神話では、天孫降臨(てんそんこうりん)といいます。この時、三種の神器も地上に持ってきており、後に天皇の証として皇居でた保管されていました。
なんやかんやあって、八咫鏡と天叢雲剣は伊勢神宮に祭られることになります。
そして、天叢雲剣に大きな変化が訪れるのは、12代目天皇である景行天皇の息子、ヤマトタケルが現れた時です。
とても強い日本神話の勇者である、ヤマトタケルは天皇に命じられて関東地方の平定を命じられていました。
なんで、天皇は関東の平定を命令したんですか? 皇居があるのって東京だから関東にありますよね?
東京に皇居があるのは、明治時代になってからじゃ! 昔の皇居は奈良県にあったんじゃ
でも、どうして、景行天皇は関東の平定をヤマトタケルに命令したんですか? 同じ日本なのに
古代日本では天皇が支配していたのは奈良県周辺だけで、関東までは勢力がのびていなかったんじゃ。つまり、当時の日本にとって関東は外国みたいなものじゃ
だから、ヤマトタケルが派遣されたんですね!
さて、とても強いヤマトタケルですが、天皇が関東にヤマトタケルを送ったのは別の理由がありました。
ヤマトタケルはあまりにも強く、天皇は「いつか自分が殺されるのでは?」と恐れていたのです。
だから、強い者と戦わせてヤマトタケルを死なせるために、関東の平定を命令したのです。
天皇がヤマトタケルに死なせようとしていたといのは古事記の話で、日本書紀では、天皇にとってヤマトタケルは自慢の息子だったんじゃ
同じ日本神話が書いてある古事記と日本書紀でも、違いがあるんですね
実はヤマトタケル自身も、景行天皇の思惑は気づいていましたが、天皇に忠実なので命令に従いました。
しかし、不安は拭い切れず、奈良県を出発したヤマトタケルは、まず伊勢神宮へむかいます。
そこには、伊勢神宮の創立者であり、ヤマトタケルのおばにあたる倭姫(ヤマトヒメ)がいました。
ヤマトタケルが事情を話すと、倭姫は天叢雲剣を渡しました。こうして、ヤマトタケルによって天叢雲剣は伊勢神宮から持ち出されたのです。
ヤマトタケルが愛知県名古屋まで来たとき、宮簀姫(みやずひめ)という美女と恋に落ちます。
そして、関東の平定が終わったら結婚することを約束して、名古屋を出発しました。
そして、ヤマトタケルが神奈川県あたりの草原を進んでいた時、敵が草むらに火を放ちヤマトタケルを火攻めにしたのです。
絶体絶命のピンチですがヤマトタケルは、周囲の草を薙ぎ払い延焼を防いだのです。
ヤマトタケルが天叢雲剣を使ってピンチを脱出したから、草薙の剣って呼ばれるようになったんですね!
三種の神器の今
千葉県あたりまで平定したヤマトタケルは引き返していきました。
そして、愛知県に戻ってきたヤマトタケルは約束通り宮簀姫と結婚しました。ところが、ヤマトタケルに慢心が生まれていました。
宮簀姫にカッコイイところを見せたかったのか、山に住む怪物を素手で倒そうとしたのです。
こうして宮簀姫のところに草薙の剣を置いて出発したヤマトタケルでしたが、山の怪物にあっさり負けて死んでしまいます。
そして、ヤマトタケルの形見である草薙の剣を祭ったのが、愛知県名古屋市にある熱田神宮というわけです。
そして、源平合戦や戦国乱世などの内乱や、第二次世界大戦という国難に見舞われながらも、三種の神器は残っています。
八咫鏡は伊勢神宮に祭られています。
最後に八尺瓊勾玉は、皇居内にある神殿にて祭られています。
皇居は一般人の立ち入りはできないので参拝はできませんが、熱田神宮と伊勢神宮はいつでも参拝することができますね。
ところで三種の神器ってどんな見た目をしているんですか?
三種の神器は見ちゃいけないと言われているんじゃ。天皇でさえ見ることは禁じられておる。
実は長い日本の歴史の中で「三種の神器をみた」という記録が残っています。
草薙の剣は約80センチの銅剣で、八尺瓊勾玉は複数個あったと言われています。
そして、八咫鏡にはヘブライ語が書いてあったなんていうお話がありますが、八咫鏡に関しては、少し怪しいですね。
以上が、「だれでもわかる 三種の神器の解説」でした。草薙の剣はまだまだ面白いエピソードがたくさんあるので、後々お話したいと思います。