【わかりやすい神社のお話】八幡神社
白狐先生、Googleマップを見てたんですが、八幡神社って多いですねよ
神社は全国に約8万社あると言われているが、その内の約4万社が八幡神社なのじゃ
半分の神社が八幡神社なんですね。ところで、八幡神社ってどんな神様が祭られている神社なんですか? 白狐先生、教えてください
よし、今回は八幡神社について解説していくのじゃ
八幡神社ってどんな神社?
白狐先生が言う通り日本一多い神社と言われているのが、今回お話する八幡神社です。
4万社という数は大小合わせての数字になりますが、コンビニで1番多いセブンイレブンが約2万店舗なので、比べてみると八幡神社がどれだけ多いのかイメージしやすいかと思います。
近くの神社が八幡神社という人も多いのではないでしょうか。
八幡神社の総本宮
全国にある八幡神社の総本宮は大分県にある宇佐八幡宮です。
一般的な神社の参拝作法は二礼二拍手一礼ですが、宇佐八幡宮の場合二礼四拍手一礼になっています。
八幡神社の御利益
他にも家内安全、交通安全、厄除けなど、幅広いご利益があるんじゃ
八幡神社の御祭神
八幡神社の御祭神は応神天皇という神様を祭っています。また、別名を誉田別命(ほんだわけのみこと)とも言います。
古代日本では文字を使っていなかっため、初期の天皇家の歴史はあいまいなものが多く、初代天皇である神武天皇は実在しなかったとも言われています。
そんな、ボンヤリとした古代日本の歴史ですが、応神天皇は西暦400年ごろに実在した可能性が高いと言われています。
神話と現世の間にいる人物といえるのが、応神天皇というわけです。
また、八幡神社では応神天皇の母親である神功皇后(じんぐうこうごう)や、応神天皇と関わりが深い複数の女神を表す比売神も共に祭られています。
応神天皇ってどんな人物なの?
応神天皇は日本神話の中でも戦うヒロインとして有名な神功皇后の皇子になります。
皇后というのは、天皇の妻のことです。
その昔、仲哀天皇の后である神功皇后は住吉三神という神様から「海の向こうの朝鮮半島にある、新羅(しらぎ)という国を攻めなさい」という神託を受けました。
しかし夫である仲哀天皇は……
仲哀天皇「高いところに上ってみても、海の向こうに陸地なんて見えなし、出兵しても意味ないよ」
こんな感じで仲哀天皇は神託に逆らうのですが、あっさり死亡してしてしまいます。そこで、代わりに神功皇后が神託に従い新羅に出兵しました。
この時、神功皇后は子供を妊娠していました。
住吉三神の加護もあってか、神功皇后は新羅征伐を成功させます。ところが、朝鮮半島で産気づいてしまいました。
神功皇后「この子は、天皇の血を引いているから、日本の土地で産まなくては」
神功皇后はこのように考え、鎮懐石(ちんかいいし)というお産を抑える不思議な石を、腰に巻いて出産をがまんします。
なんとかお産をがまんして、神功皇后は日本で無事、後に応神天皇となる誉田別命を産みました。
ところが、都では……
オシクマ王「新羅に攻め込んだ神功皇后と、その息子を殺して俺が次の天皇になってやる! ぎゃはははは!」
なんと、オシクマ王という人物が天皇の座を奪うために、神功皇后と誉田別命の命を狙っていたのです。
そこで、神功皇后は、自分と誉田別命を死んだことにしました。
嘘の情報に惑わされたオシクマ王が油断したところを、神功皇后の軍勢が襲いかかり、オシクマ王を倒しました。
こうして、新羅征伐を成功させたどころか、神功皇后は皇位争いまで鎮圧したのです。
そして、幼い誉田別命の代わりに神功皇后が政治を行いました。誉田別命が成人して、応神天皇として即位すると神功皇后は政治から退きました。
不思議な宇佐八幡宮、創立
八幡神社の総本宮は宇佐八幡宮じゃが、創立には不思議な話があるんじゃ
どんなお話ですか? ぜひ聞かせてください!
西暦570年ごろ、時代区分的には飛鳥時代ですね。
大分県にある菱形池のほとりで、怪しい鍛冶師の老人や、八つの頭を持つ龍が現れるという怪異が起きていました。
その鍛冶師の老人か龍を見た人は、病気になって死んでしまうという不吉なことが続いたのです。
ある僧侶が怪異を治めるために祈祷したところ、謎の鍛冶師の老人は3歳くらいの男の子に変わって、こう言いました。
男の子「私の名前は誉田別命。国を守る力を持った神である」
こうして、菱形池に「誉田別命である応神天皇」が現れた、ということになりました。
そして、時代が大きく飛んで708年になると、菱形池の周りに社殿が建設され、全国にある八幡神社の総本宮である宇佐八幡宮ができました。
ちなみに、誉田別命が現れてから社殿が建つまで、130年くらい時間が経っていますが、その理由はわかりません。
よく神託をする神様
八幡神社の神様である応神天皇は、よく神託をすると言われています。
数ある神託の中でも、もっとも有名なのが奈良の大仏を作っているときです。
奈良の大仏は聖武天皇の案で造られました。
ところが、建設途中で大仏に塗る金が足りなくなってしまいます。
そんな時、応神天皇から神託がありました。
応神天皇「国内から金が出るから大丈夫」
すると、神託のとおり陸奥の国(東北地方)から金が発見され、奈良の大仏は完成しました。
奈良の大仏ができたのは、応神天皇の神託があったおかげと言われ、守護神として東大寺の近くに手向山八幡宮が建設されます。
八幡神社が1番多い理由
八幡神社がどんな神社かわかったところで、なぜ日本で1番多い神社か話していくぞ
八幡神社が多い理由には、サムライが関わっています。
日本初の武家政権である鎌倉幕府を開いた源頼朝は、一族の守り神として鎌倉市に鶴岡八幡宮を建てました。
当時は仏教と神道を同一視する、神仏習合の影響によって八幡神は八幡大菩薩と呼ばれていました。
神仏習合に関しては、こちらの記事をご覧ください
源頼朝が鶴岡八幡宮を建てたことにより、八幡大菩薩は源家の氏神(一族の守り神)になったわけですが、1333年に鎌倉幕府は滅んでしまいます。
しかし、初の武家政権をつくり、サムライの時代を築いた源頼朝はサムライたちのヒーローでした。
また、サムライのトップである征夷大将軍は源氏の血筋じゃないとなれないというルールがあったのです。
なんで、源家の血筋じゃないと、征夷大将軍なれないんですか?
実は源家は天皇家の親戚だったからじゃ!
武家政権の時代といえど、トップである征夷大将軍は天皇家とつながっていたんですね。
覇権を握るために争っていた戦国時代になると、多くのサムライが「俺は源家の血筋だ!」と言うようになります。
織田信長や徳川家康も、源家の血筋であることを主張しました。
余談ですが、家康よりも先に天下をとった豊臣秀吉は、源家に繋がる家系図がどうしても手に入れられなかったので、征夷大将軍はではなく関白という役職について、天下を治めていました。
このように、戦国武将にとって源家と繋がっていることは、とても重要だったんですね。
なので源家の氏神である八幡大菩薩を祭ることは、戦勝のご利益を得るためだけでなく、自分は源家の家系であることを主張できたわけです。
こうして、多くのサムライが各地に八幡神社をつくるようになりました。
そして、戦国時代が終わると、庶民に親しまれるようになり、地域の守り神として祭られるようになり、家内安全や厄除けなど、親しみやすいご利益がでてくるようになりました。
以上が八幡神社のお話でした。この記事が皆様の神社参拝の参考になればうれしいです。