わかりやすい日本の神様のお話~イザナギとイザナミ~
日本神話を勉強してるんですが、神様がたくさんいて覚えるのが大変です
日本には数えきれないくらい神様がいるからのぉ、巫女だからといって無理に全部覚える必要はない。ところで多くの神々は、たった二柱の神様が産んだというのは知っているか?
たった二柱の神様からですか? ぜひ教えてください
今回は日本初の夫婦であり、多くの神様の祖先となった伊邪那岐(イザナギノカミ)と伊邪那美(イザナミノカミ)について、お話していきます。
古事記や日本書紀に書かれている日本神話では、最初の地上には何もありませんでした。
そこに天からという男女の神様が下りてきます。それが、イザナギとイザナミでした。
イザナギとイザナミの名前には、「イザナ」という言葉が共通して含まれており、「誘う」という意味があります。
つまり、イザナギは「誘う男」、イザナミは「誘う女」という意味があり、お互いに惹かれあう神様を表していると言われています。
イザナギとイザナミのご利益
多くの神々を産んだから、子供や出産にかんするご利益が多い神様じゃ
日本列島はイザナギとイザナミの子供
天の浮橋という地上と天をつなぐ道から、天沼矛(あめのぬぼこ)という槍みたいな武具で何もない地上をかき混ぜました。
すると、オノゴロ島という陸地ができてイザナミとイザナギは、そこに降りたったのです。
オノゴロ島に降りたったイザナギとイザナミは、お互いの体を見て驚きました。
男のイザナギには出ているところがあり、女のイザナミには穴があいていたからです。
イザナミ「あなたの出ているところで、私の穴をふさいでください」
このように女性のイザナミから誘いましたが、何に誘ったのかというと性交渉です。
こうしてイザナギとイザナミは結ばれて夫婦になります(昔の日本では、肉体関係を結んだ時点で夫婦の関係となりました)
ところが、産まれてきた赤ちゃんは骨がない、ブヨブヨした子供だったのです。イザナギとイザナミは、この子供を小舟を作って海に流してしまいました。
海に流しちゃったんですか⁉ かわいそうな話です。
しかし、この子は後に陸にたどりついて、七福神の恵比寿天になるのじゃ
イザナギとイザナミはどうすれば、立派な子供が生まれるのか天の世界にいる神様に聞きました。
天の神「エロいことは、男から誘いなさい」
このように俗っぽい答えが返ってきました。
イザナギ「私の出ているところで、あなたの穴を塞ぎたい」
言われた通り男性の方から女性を誘うと、イザナミは北海道と沖縄以外の日本列島を産みました。
こうしてイザナギとイザナミによる国生みは達成されるのです。
なんで沖縄と北海道は含まれていないんですか?
実は北海道と沖縄が日本になったのは明治時代に入ってからで、それまではずっと別の国だったんじゃ。だから、日本神話に沖縄と北海道は含まれていないんじゃ
北海道と沖縄はずっと日本だと思っていたけど、日本になったのは最近だったんですね!
イザナギとイザナミの死別
国を産んだイザナギとイザナミは、木の神や風の神、山の神など、さまざな自然の神様を産んでいきました。
こうしてイザナギとイザナミはなにもなかった地上を、自然豊かな場所に変えていったのです。
ところが、イザナミに悲劇が襲います。
火の神である火之迦具土神(ヒノカグツチ)を産んだ時、あまりにも熱すぎてイザナギは大きな火傷を負ってしまいます。
火傷がひど過ぎてイザナミは死んでしまいました。
イザナギ「なぜだ!? こんな赤ん坊に私の妻が殺されなければならない」
イザナギは悲しみのあまり、ヒノカグヅチを剣で切り殺してしまいました
妻が亡くなってショックなのはわかりますが、我が子に手をかけるなんて……
それだけ妻を愛していたということじゃ。ちなみにヒノカグヅチの遺体から色々な神様が生まれるんじゃ。一番有名なのは国譲りで活躍する建御雷神(タケミカヅチノカミ)じゃな。
イザナギ、死者の国へ
イザナミを失ったイザナギは寂しさのあまり、死者の国である黄泉の国へイザナミを迎えにいくことにしました。
すると、現世と黄泉の国を隔てる大きな門が現れました。すると門の向こうからイザナミの声が聞こえてきました。
イザナミ「そこにいるのはイザナギですか?」
イザナギ「そうだ! お前を迎えに来たのだ!」
イザナミ「あなたの気持ちはうれしい。けれど、私は死者の世界の食べ物を食べてしまいました。もう、現世にはもどれません」
死者の国の世界の食べ物を食べるとどうなるんですか?
死者の国の食べ物を食べると、死者の国の住人なるということ意味しているんじゃ。つまり、死者の国の食べ物を食べたイザナミは完全な死者となったというわけじゃな
イザナギ「なんとかならないのか?」
イザナギは引き下がりませんでした
イザナミ「わかりました。こっちの世界の神々と話し合ってきます。私が戻ってくるまで、絶対にこっちに来ないでください。いいですか、絶対に死者の国に入ってきちゃダメですよ。いいですか、絶ッッッッッッ対に入ってこないでください」
こうして、イザナミはフラグを立てて黄泉の世界の奥に入っていきました。
案の定、待ちくたびれたイザナギは、約束を破り、門を開けて黄泉の国へ入っていったのです。
イザナギは黄泉の世界を進んでいきました。
すると、一番奥にいたのはゾンビのような姿をしたイザナミでした。
イザナギ「ぎゃああああああああああ!」
驚いたイザナギは一目散に逃げていきました。
イザナミ「約束を破ったうえに、私に恥をかかせて許せない! 八つ裂きにしてくれる!」
怒ったイザナミはイザナギを追いかけていきました。
日本で初めて離婚した夫婦になる
なんとかイザナミから逃げ切ったイザナギは現世に戻ってきますが、イザナミは現世まで追いかけてこようしていました。
そこでイザナギは、現世と黄泉の国をつなぐ道を大きな岩で塞いでしまいます。
イザナギは岩ごしにこう言いました。
イザナギ「お前とはもう離婚する!」
イザナミ「なんてひどい! なら私はあなたの国の人を毎日1000人殺してやる!」
イザナギ「ならば私は、毎日1500人の子供を産もう!」
こうして、日本では毎日1000人の人が死に、1500人の子供が誕生するという、生死の概念が生まれたのです。
天照大御神の誕生
死者の国で汚れを受けたイザナギは、禊(みそぎ)をして汚れを洗い流すことにしました。
こうして、イザナギは持ち物や服を脱ぎ捨てて、海へと入ります。
この時、イザナギが脱いだ服や持ち物、フンドシが神様に変わっていきました。
フンドシが神様に変わるなんて、日本神話って面白いですね!
それだけでなく、イザナギから出てきた汚れや、身を清めた海水までもが神様に変わっていきます。
神様に変わった海水というのが、住吉大社の御祭神である住吉三神じゃ
このように、イザナギ単体でも多くの神様を生みました。
最後にイザナギは顔を洗うことにしました。
左目を洗うと天照大御神(アマテラスオオミカミ)が産まれました。
右目を洗うと月読神(ツキヨミノカミ)が産まれました。
鼻を洗うと須佐之男神(スサノオノカミ)が産まれました。
イザナギ「おお! なんと素晴らしい子供たちだろうか。アマテラス、お前は昼の世界をたのむ」
アマテラス「わかりました。お父様」
イザナギ「ツキヨミ、お前は夜の世界を見てくれ」
ツキヨミ「任せてください!」
イザナギ「スサノオは海の世界を支配するのだ」
スサノオ「なんで俺が⁉ イヤだね!」
アマテラスとツキヨミは素直にイザナギの言うことを聞いたそうですが、スサノオだけは言いつけを守らなかったと言われています。
イザナギ引退する
アマテラスとツキヨミは、イザナギの言うことを素直に聞いたので夜と昼の世界は安定しました。
ところが、わがままなスサノオは言うことを聞かずに「お母さんがいる黄泉の国へ行きたい」と言って、だだをこねていました。
イザナギは黄泉の世界がどんなところか知っているので、スサノオを行かせるわけにはいきません。
イザナギがなだめても、スサノオは泣きわめいてばかりいるので海の世界は安定せず荒れ狂いました。
イザナギ「お前は天の神失格だ! 地上に追放する!」
こうして、イザナギはスサノオを追放することにして、隠居することにしました。
神様でも隠居するんですね
日本の神様は人間臭いからのぉ。隠居先と言われる神社が日本にはあるんじゃ
イザナギの隠居先① 伊弉諾神宮
イザナギが隠居したと言われているのは、兵庫県淡路市多賀にある伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)という場所です。
古事記には「イザナギは多賀の地にいるよ」と書かれているので、イザナギの隠居さきとして、この神社ができたと言われています。
イザナギの隠居先ということで長くイザナギのみ祭らていましたが、昭和になると妻であるイザナミも一緒に祭られるようになりました。
神代のころに別れてしまったイザナギとイザナミですが、現代になってようやく再会できたのかもしれませんね
イザナギの隠居先➁ 多賀大社
イザナギが隠居したと言われる多賀の地は滋賀県多賀町にもあります。
この場所にもイザナギが隠居したと言われる多賀大社という神社があります。
こちらの神社でもイザナギ、イザナミが一緒に祭られています。
以上が「イザナギとイザナミ」のお話でした。
日本列島や多くの神々の祖先となったイザナギとイザナミは、古事記の序盤では活躍する神様なので、神社好きとしては覚えておきたい神様ですね。
【超わかりやすい!】お寺と神社の違い!
白狐先生! 神社とお寺の違いを教えてください
どうしたんじゃ? 急に?
参拝者さんから「神社とお寺の違い」を聞かれたんですが、答えられなくて……
巫女なのにそんなことも知らんのか! とは言え日本はお寺と神社が合体していた時代が1000年近くつづいたからのぉ、知らないのも無理はない。今回はお寺と神社の違いについて教えてやろう
- お寺と神社の根本的な違い
- 日本に仏教がやってきた
- 日本仏教の発展
- お寺と神社が合体した!? 神仏習合ってなに?
- 神と仏が合体した神仏習合ってなに?
- 神仏習合の影響
- 神仏習合の終わり~神仏分離令とは?~
- 神仏習合の面影を残すお寺~妙厳寺~
お寺と神社の根本的な違い
お寺の神社の違いですが、結論から言うと全く違う宗教の建物です。
神社は日本人の祖先が古代から続けてきた宗教である神道の建物です
神社の始まりに関しては、こちらの記事を見てください
神社に対してお寺というのはインドでお釈迦さまが開いた仏教という宗教の建物です
日本に仏教がやってきた
約2500年前、インドでお釈迦様が仏教という宗教を開きました。
その後、中国や朝鮮半島などアジアの国々へ広がっていきます。そして、538年ごろ朝鮮半島にあった百済(くだら)という国から、日本に仏教が伝わってきました。
538年といえば日本は飛鳥時代で、あの有名な聖徳太子(厩戸王)がいた時代です。
すんなりと日本へ仏教が入ってきたわけではなく、仏教反対派の勢力もいました。
それが物部氏(もののべし)という一族で、物部氏は「外国の宗教なんて信仰したら、日本の神様が怒る」と主張して、仏教を反対したのです。
物部氏に対して仏教を取り入れようとしたのが、蘇我氏(そがし)という一族で、蘇我氏は外国の思想である仏教を日本に取り入れようとしたのです。
なぜ蘇我氏は仏教を日本に取り入れようとしたんですか?
このころの日本には法律がなかったんじゃ。一方で他の国は仏教のルールを基に法律を作っていた。蘇我氏は外国を真似をして、日本に法律をつくろうとしていたのじゃ
飛鳥時代の日本では、仏教オススメ派の蘇我氏と、仏教イヤイヤ派の物部氏に分かれて争っていました。
結果的に蘇我氏が勝ち、日本に仏教が入ってきます。
その後、蘇我氏は繁栄して、一族から聖徳太子という歴史に名を残す政治家が生まれます。
反対に負けた物部氏は衰退していきました。
日本仏教の発展
710年に奈良時代になると、国内で仏教が大きく発展します。
当時の日本では天然痘という病気が猛威を振るい、たくさんの人が亡くなっていました。
740年ごろ当時の天皇だった聖武天皇(しょうむてんのう)は「仏様の力でなんとかしてもらおう」と考えます。
こうしてできたのが奈良の大仏です。
さらに日本に仏教を広げるために、聖武天皇は全国に国分寺というお寺をつくりました。
聖武天皇が熱心に仏教を勧めたから、日本に仏教がひろがっていったんですね。
お寺と神社が合体した!? 神仏習合ってなに?
仏教というのは悟りを開くことを目的としています。
悟りってなんですか?
悟りっていうのは、欲や迷いを捨てて心が安定した状態のことじゃ
仏教には釈迦如来や大日如来と呼ばれる仏様がいますが、如来というのは完全に悟りを開いた仏様のことで、仏教でも最高クラスの仏様です。
一方で日本神話に出てくる日本の神々というのは、性欲に振り回されたり、お酒を飲んだり、裸踊りをしたり、とても俗っぽい神様が多く登場します。
最高神の天照大御神(アマテラスオオミカミ)ですら、弟の須佐之男神(スサノオノカミ)の蛮行が嫌になって岩戸に引きこもっちゃったりしています。
このように、仏教から見て日本の神様というのは、欲や迷いに心を乱されています。
すると、仏教のお坊さんたちは「日本の神様の欲や心の迷いに苦しんでるから、仏様に救ってもらわなくちゃいけない」と考えるようになりました。
このような考えによって神道は仏教に取り込まれていきます。
すると、神社とお寺を一緒に建てた神宮寺(じんぐうじ)という建物や、お寺の境内に鎮守社(ちんじゅしゃ)という神社を造るようになっていきます。
こうして日本では、神社とお寺の垣根がなくなっていったんですね。
神と仏が合体した神仏習合ってなに?
平安時代になると本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考えが誕生します。
わぁー! 難しそうな漢字が並んでますね!
簡単にいうと「日本の神様の正体は仏様だった」という考え方じゃな
神仏習合(しんぶつしゅうごう)という考え方は、平安時代ごろから広まっていきました。
このように中世日本では日本の神様と仏様が合体していき、神道と仏教がごちゃ混ぜになった状態になっていくのです。
神仏習合の影響
神社の象徴でもある鳥居は、神域と現世を分ける役割があります。神仏習合の時代になると、鳥居を建てるお寺が現れます。
また、お経を読んだり、仏像を祭る神社が登場します。
さらに、日本古来の神様を仏の名前で呼ぶようになりました。
どんな呼ばれ方をしていたんですか?
八幡神社の神様を八幡大菩薩と呼んでたりしたんじゃ
このように、平安時代以降の日本では神道と仏教が同一視されていたため、お寺と神社が合体した状態が1000年近くつづきました。
ところが、明治時代になると神仏習合の時代が終わりを迎えます。
神仏習合の終わり~神仏分離令とは?~
1000年近くつづいた神仏習合の時代が終わったきっかえは明治維新です。
明治維新というのは、新政府軍が江戸幕府を倒し明治政府をつくったという、大きな政変です。また、この時できた明治政府が、内閣総理大臣を中心とする現代の政府へとつづいていきます。
明治政府は神道によって国民の思想を統一しようとしていました。だから神道を強化する必要があったのです。
そのために、合体していた仏教と神道を分離させる必要がありました。
そこで、明治政府は仏教と神道を分ける神仏分離令という法令を出します。
お寺に鳥居を建てることを禁止して、既存のものは壊されていきました。
さらに、日本の神様を仏の名前で呼ぶことや、神社でお経を読んだり仏像を祭ることを禁止しました。
この神仏分離令によって、神道と仏教が分かれたので、神社とお寺も明確に区別されていきます。
明治以降、神仏習合という考えは廃れていきました。
こうして神社とお寺が明確に分かれている現代へと続いていきます。
しかし、神社とお寺が分かれている現代よりも、神仏習合の時代の方が長く続いていました。
「神社とお寺の違いがわからない」と言う、日本人が多くいるように感じますが、それは神仏習合の時代が長かったからと私は思っています。
神仏習合の面影を残すお寺~妙厳寺~
神仏分離令によってお寺に鳥居を建てることを禁止されました。
お寺の鳥居の多くは壊されてしまいましたが、残っているところもあります。
愛知県豊川市にある妙厳寺(みょうごんじ)というお寺は、鳥居がある珍しいお寺です。
妙厳寺は境内の鎮守社として稲荷神を祭っています。そのため豊川稲荷と呼ばれるようになりました。
豊川稲荷は昔の信仰形式を残しているお寺なんですね。行ってみたいです
それはいいのぉ。あそこの参道のいなり寿司が美味いんじゃ!
豊川稲荷がいなり寿司が発祥した場所と言われています。
以上が「お寺と神社の違い」のお話でした。
だれでもわかる 三種の神器の解説
三種の神器は神社が好きなら聞いたことがると思います。
八咫鏡(やたのかがみ)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)
この3つは神話時代から日本に伝わる秘宝で、皇位の証として歴代の天皇が継承してきました。
神話時代の秘宝が現代まで残っているなんて、すごいですね!
三種の神器についてわかりやすく解説してくぞ!
八咫鏡と八尺瓊勾玉の誕生
その昔、天の世界で須佐之男神(スサノオノカミ)という神様が暴れていました。
それに気を病んだ天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、天岩戸(あめのいわと)という洞窟に隠れて、入口を岩で塞いで引きこもってしまいます。
太陽をつかさどるアマテラスが洞窟に引きこもっちゃったので、大変なことになります。
空から日の光が消えて、世界が闇に包まれてしまったのです。
しかし、知恵の神である思金神(オモイカネノカミ)が、アマテラスを誘い出すために祭りをすることを思いつきます。
オモイカネは
こうして準備を進めた神々は、マッチョな神様である手力男神(タジカラノオノカミ)と、ダンサーの天宇受売命(アメノウスメノカミ)という神様、そして大量のニワトリを天岩戸の前に待機させました。
そして、祭りがはじまると、八尺瓊勾玉から音楽が流れはじめ、ニワトリが一斉に鳴き始めました。
音楽に合わせてアメノウズメが踊ると、神々は歓声を上げます。
すると、岩戸の中にいたアマテラスは、あまりにも騒がしいので外が気になり始めました。
そして、岩戸を閉じている岩を少しずらして、近くにいたアメノウズメに声を掛けます。
アメノウズメが言う「すごい神様」が気になったアマテラスは、その姿をよく見ようと岩戸を閉じている岩を大きく動かしました。
ところが、アマテラスが見ていたのは八咫鏡に映った自分だったのです。
しかし、アマテラスは鏡に映った自分ということに気づかずに、岩戸を閉じている岩をより大きく動かした、その隙にタジカラが岩を遠くに投げ飛ばしました。
アマテラスが岩戸から誘い出し世界に太陽の光を取り戻す、岩戸開きはこうして達成されました。
こうして八咫鏡と八尺瓊勾玉ができたんですね!
草薙ぎの剣の誕生
岩戸隠れの原因はスサノオが暴れたからということで責任を取らせるために、神々が住む天の世界である高天原(たかまがはら)から地上へと追放されることになりました。
こうして、スサノオは出雲(現在の島根県)に降り立ちます。
そこで、スサノオは櫛名田姫(クシナダヒメ)という美女に出会い恋に落ちます。
ところが、クシナダヒメはヤマタノオロチという怪物に食べられることになっていました。
スサノオはヤマタノオロチを倒して、クシナダヒメと結婚することを誓います。
そして、スサノオは強いお酒を用意してヤマタノオロチに飲ませ、酔っぱらって油断したところを襲いました。
こうして、ヤマタノオロチを倒したスサノオが、剣で尻尾を斬りつけたところ、固い何かに刃が当たりました。
調べてみるとヤマタノオロチの尻尾から、一本の剣が出てきたのです。
スサノオは出てきた剣に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と名付けました。そして、今までの無礼を詫びるために天の世界にいるアマテラスに、天叢雲剣を献上しました。
こうして、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣という三種の神器がそろうわけです。
あれ? 草薙の剣のお話じゃないんですか?
天叢雲剣と草薙の剣は同じ剣だと言われているんじゃ。次はなぜ草薙の剣と呼ばれるようになったか、解説していくぞ!
天叢雲剣から草薙ぎの剣へ
天皇家の遠い祖先であり、アマテラスの孫である邇邇芸神(ニニギノカミ)が地上を統治するために、天から降りてきました。
この出来事を日本神話では、天孫降臨(てんそんこうりん)といいます。この時、三種の神器も地上に持ってきており、後に天皇の証として皇居でた保管されていました。
なんやかんやあって、八咫鏡と天叢雲剣は伊勢神宮に祭られることになります。
そして、天叢雲剣に大きな変化が訪れるのは、12代目天皇である景行天皇の息子、ヤマトタケルが現れた時です。
とても強い日本神話の勇者である、ヤマトタケルは天皇に命じられて関東地方の平定を命じられていました。
なんで、天皇は関東の平定を命令したんですか? 皇居があるのって東京だから関東にありますよね?
東京に皇居があるのは、明治時代になってからじゃ! 昔の皇居は奈良県にあったんじゃ
でも、どうして、景行天皇は関東の平定をヤマトタケルに命令したんですか? 同じ日本なのに
古代日本では天皇が支配していたのは奈良県周辺だけで、関東までは勢力がのびていなかったんじゃ。つまり、当時の日本にとって関東は外国みたいなものじゃ
だから、ヤマトタケルが派遣されたんですね!
さて、とても強いヤマトタケルですが、天皇が関東にヤマトタケルを送ったのは別の理由がありました。
ヤマトタケルはあまりにも強く、天皇は「いつか自分が殺されるのでは?」と恐れていたのです。
だから、強い者と戦わせてヤマトタケルを死なせるために、関東の平定を命令したのです。
天皇がヤマトタケルに死なせようとしていたといのは古事記の話で、日本書紀では、天皇にとってヤマトタケルは自慢の息子だったんじゃ
同じ日本神話が書いてある古事記と日本書紀でも、違いがあるんですね
実はヤマトタケル自身も、景行天皇の思惑は気づいていましたが、天皇に忠実なので命令に従いました。
しかし、不安は拭い切れず、奈良県を出発したヤマトタケルは、まず伊勢神宮へむかいます。
そこには、伊勢神宮の創立者であり、ヤマトタケルのおばにあたる倭姫(ヤマトヒメ)がいました。
ヤマトタケルが事情を話すと、倭姫は天叢雲剣を渡しました。こうして、ヤマトタケルによって天叢雲剣は伊勢神宮から持ち出されたのです。
ヤマトタケルが愛知県名古屋まで来たとき、宮簀姫(みやずひめ)という美女と恋に落ちます。
そして、関東の平定が終わったら結婚することを約束して、名古屋を出発しました。
そして、ヤマトタケルが神奈川県あたりの草原を進んでいた時、敵が草むらに火を放ちヤマトタケルを火攻めにしたのです。
絶体絶命のピンチですがヤマトタケルは、周囲の草を薙ぎ払い延焼を防いだのです。
ヤマトタケルが天叢雲剣を使ってピンチを脱出したから、草薙の剣って呼ばれるようになったんですね!
三種の神器の今
千葉県あたりまで平定したヤマトタケルは引き返していきました。
そして、愛知県に戻ってきたヤマトタケルは約束通り宮簀姫と結婚しました。ところが、ヤマトタケルに慢心が生まれていました。
宮簀姫にカッコイイところを見せたかったのか、山に住む怪物を素手で倒そうとしたのです。
こうして宮簀姫のところに草薙の剣を置いて出発したヤマトタケルでしたが、山の怪物にあっさり負けて死んでしまいます。
そして、ヤマトタケルの形見である草薙の剣を祭ったのが、愛知県名古屋市にある熱田神宮というわけです。
そして、源平合戦や戦国乱世などの内乱や、第二次世界大戦という国難に見舞われながらも、三種の神器は残っています。
八咫鏡は伊勢神宮に祭られています。
最後に八尺瓊勾玉は、皇居内にある神殿にて祭られています。
皇居は一般人の立ち入りはできないので参拝はできませんが、熱田神宮と伊勢神宮はいつでも参拝することができますね。
ところで三種の神器ってどんな見た目をしているんですか?
三種の神器は見ちゃいけないと言われているんじゃ。天皇でさえ見ることは禁じられておる。
実は長い日本の歴史の中で「三種の神器をみた」という記録が残っています。
草薙の剣は約80センチの銅剣で、八尺瓊勾玉は複数個あったと言われています。
そして、八咫鏡にはヘブライ語が書いてあったなんていうお話がありますが、八咫鏡に関しては、少し怪しいですね。
以上が、「だれでもわかる 三種の神器の解説」でした。草薙の剣はまだまだ面白いエピソードがたくさんあるので、後々お話したいと思います。
【神社の起源】神社はどうやってできたのか?
日本には神社が約8万社もあり、これは国内で一番多い建物ランキングの1位です。
私たち日本人にとって神社は身近なものですが、神社の起源を知っている人は少ないのではないでしょうか?
そもそも神社ってなに?
神社というのは、日本特有の宗教である神道の建物です。
日本神話に出てくる神様だけでなく、外国の神様や自然物、さらに歴史上の偉人が祭られています。
要するに、日本人はなんでもかんでも神様として祭るという、風習があるんですね。
各地にある神社は、信仰の中心となる〇〇大社から、分霊を分けてもらい増えていきました。
このような神社を分社といいます。
各地の稲荷神社の大本は京都の伏見稲荷大社。
また、各地の住吉神社の大本は大阪の住吉大社です。
神社の基本がわかったところで、神社の起源についてお話していきます。
神社の始まりは縄文人
神社は神道の建物ですが、その神道というのは縄文人が行っていたアニミズム信仰が始まりになっています。
このアニミズムという言葉には生命を与えるという意味がありが、アニメの語源になっています。
縄文人は「あらゆるものに魂が宿る」と信じていました。
その対象はとは風、火、雨、雪、太陽が昇るなどの自然現象
木、山、川、岩、洞窟、滝、海などの自然物
人、植物、動物などの生き物
さらに、生活用品や井戸、剣、鏡、玉といった人工物も、アニミズム信仰の対象になっていました。
なんでもかんでも神様として祭る日本人の風習は、縄文時代のアニミズム信仰からきています。
このアニミズム信仰を基にして、神社ができていくわけですが、信仰の対象になったのは限られています。
噴煙を巻き上げる火山や恵を与えてくれる山脈、目をみはるほど成長した大木、巨大な岩や大きな滝など、特徴的だったり、時に荘厳で威圧感を与えるような自然物を信仰の対象としました。
自然物を御神体とする信仰を神奈備信仰(かんなびしんこう)といいます。
古代の日本人は信仰の対象となる自然物がある場所を聖域にしました。そして、この聖域が神社となっていくわけです。
自然物を御神体とする神社
花の窟神社の御神体は、伊邪那美神を墓標といわれる巨大な岩です。
天岩戸神社の御神体は、天照大御神が隠れたと言われる洞窟が御神体です。
大神神社の御神体は三輪山という山です。また、この神社が日本最古の神社といわれています。
これら神社の特徴は参拝する拝殿こそあるものの、御神体をおさめる本殿がありません。というか、山や洞窟を建物に入れることが無理です。
社殿は最初、壊していた
自然物から霊験を感じ取った古代人が、そこを聖域にしたのが初期の神社なのですが、御神体となる自然物があるだけで、現在のような社殿はありませんでした(聖域を示す鳥居はあったようです)
祭事が行われるの時だけ、社殿を造り、祭事が終わったら壊していたそうです。
ところが、「毎回社殿を建てるのが面倒になったのか」それとも「建てたままの方が合理的なのに気付いた」のかわかりませんが、社殿は建てたままになっていきます。
こうして、神社には社殿があるのが一般的になりました。
人が神様になる
縄文時代から弥生時代に移り変わると、人々は田んぼを作り稲を育てる稲作を行うようになりました。
安定的に食べ物が食べられるようになったので、人々は定住して国をつくって定住するようになります。
すると、人々は土地を開拓して田んぼを作ったご先祖様を五穀豊穣の神様や国の守り神として祭るようになりました。
このように、ご先祖様を神様として祭る信仰を祖霊信仰といいます。
弥生時代は小国乱立期といって、小さい国がたくさんあってまとまりのない状態でした。あの有名な邪馬台国ですら、たくさんある国の一つです。
ところが、天皇家の遠い祖先が大和朝廷という強力な政治組織をつくり、各地に点在していた小さな国をまとめます。
こうして、天皇家を中心とする国である、日本が産声をあげました。そして、大和朝廷が信仰していた天照大神(アマテラスオオミカミ)が日本で一番偉い神様になり、天照大御神の最高神とする神道が確立するのです。
御神体は自然物から人工物へ
神道の大本となったアニミズム信仰には、人工物も信仰の対象に入っています。
目を見張るような大木や大岩はなかなかありませんが、人工物なら作れます。
たとえば、鏡、剣、勾玉などが、御神体に選ばれていきます。
三重県の伊勢神宮では、三種の神器の一つである八咫鏡が御神体です。
愛知県の熱田神宮では、三種の神器の一つである草薙の剣が祭られています。
また、各地の神社の多くは御神鏡(鏡)が御神体として祭られている場合が多いです。
こうして剣や鏡、勾玉といった人工物も御神体として祭られるようになり、各地に神社が増えていったのです。
本当はキツネじゃない、お稲荷さんのひみつ
多くの人が「お稲荷さん=キツネの神様」と思っていますが、実は違います。
では、お稲荷さんはどのような神様なのでしょうか?
お稲荷さんってどんな神様なの?
お稲荷さんというのはニックネームみたいなもので、本当の名前は宇迦之御魂神(ウカノミタマ)という女性の神様です。
キツネの神様と思われがちですが、キツネはウカノミタマのお使いです。
また、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟の須佐之男神(スサノオノカミ)の娘なので、天照大御神の姪にあたる神様です。
お稲荷さんのご利益
稲荷という字には稲という文字が入っているので、元々は五穀豊穣の神様でした。
なぜ商売繁盛や金運のご利益があるのかと言うと、昔の日本の通貨の基準はお米でした。
年貢米がいい例で、お米を税金として払っていて、お殿様は家来のお給料をお米で払っていました。
そして家来はお給料のお米を小判に換金するか、食料にして、生計を立てていました。また、価値を示す値という字は、「稲の“ね”」からきています。
このように、昔の日本はお米の経済の繋がりが強かったので、お稲荷さんは商売繁盛の神様になったと言われています。
お稲荷さん(ウカノミタマ)を祭る神社
京都にある伏見稲荷大社が、稲荷信仰発祥の地と言われています。
お稲荷さんを祖霊とする秦(はた)という一族が、伏見稲荷大社がある場所にお稲荷さんを祭る神社を建てたことで、全国に稲荷信仰の中心となりました。
また、空海がお寺を建てるために、伏見稲荷大社の境内から木を切り出したところ、ウカノミタマの怒りを買ってしまいました。
そこで、空海はウカノミタマの謝り、お詫びとして稲荷神社の分霊をお寺に祭りました。
これにあやかり、日本ではお寺を建てる時、境内に稲荷神を祭るようになります。
仏教寺院の境内をよく見ると、お稲荷さんが祭られていたりするので、お寺にいった際には、よく境内を見てみてください。
伏見稲荷大社以外にも……
などがあります。
何でキツネなの?
キツネは田んぼを荒らすネズミを補食するので、昔の日本人はキツネは田んぼの守ってくれていると思いました。
そして、稲の豊作を司るお稲荷さんと結び付き、キツネはお稲荷さんのお使いと言われるようになったという説があります。
油あげを奉納する驚きの理由とは!?
お稲荷さんに奉納するものと言えば、油あげですが、なぜ油あげなのでしょうか?
見た目がキツネに似ているから? それともキツネの好物だから?
どちらも違っていて、昔は油であげたネズミを奉納していました(気持ち悪いですね🤢)
仏教の「殺生はよくない」という考えが広がると、ネズミの代わりに油あげを奉納するようになったと言われています。
ウカノミタマ以外のお稲荷さん
ウカノミタマ以外にも、お稲荷さんと呼ばれる神様がいます。
その名も荼枳尼天(ダキニテン)と言われる神様です。元々はダーキニーと言う、インドの神様でした。
仏教が日本に伝来すると、ダーキニーも日本にやって来るのですが、日本人はお稲荷さんとして祭るようになります。
ダキニテンを祭っていることで有名なのは豊川稲荷ですが、実は神社ではなく千手観音を祭るお寺です。
また、岐阜県にある お千代保稲荷には大祖大神という神様が祭られています。
お稲荷さん=キツネではなく 、お稲荷さんって実は、複数の神様を示す名前だったんですね
以上が、本当はキツネじゃない、お稲荷さんのお話でした。
自己紹介(このブログについて)
はじめまして、「神社大好きブログ」にようこそ。
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特定の宗教や、霊感グッズを売りつけるようなことはしないので、安心して記事を読んでください。
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東いつき(ブログ主)
神社や日本の神様に詳しすぎるので、よく神主に間違えらえるが、本業は作家。
小説を書くために日本神話を調べていたら、日本の神様のことが好きになる。
執筆した作品はAmazon Kindleで販売中。
好きな食べ物は、生ビールと唐揚げとラーメン。名古屋の立ち飲み屋に時々出没する(笑)
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とある神社の見習い巫女、年齢は17歳。
優しく、おだやかな性格なので、参拝者から慕われている。
神社や日本の神様の知識が豊富だが、全て白狐さんから教えてもらった。
好きな食べものはパンケーキ。
苦手なものはオバケ
白狐さん
神様のお使いのおキツネさん。巫女ちゃんにしか見えない。
子供っぽい言動をするが、知識が豊富で何年存在しているかわからない(おそらく1000年以上前から存在している)
巫女ちゃんは神社や日本の神様のことを、白狐さんから教えてもらった。
好きな食べ物は、もちろんいなり寿司。
苦手なものは生魚と犬。
このブログを読むと……
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